御幸塚城(みゆきづかじょう)
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 城郭の概要
所在地:小松市今江町
別 名 :今江城,富樫泰高館
築 城 :文安年間(1444〜1449)
初城主:富樫泰高
区 分 :平山城
遺 構 :曲輪,土塁


 現地への案内
交通機関は車を利用

 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 JAの駐車場を利用、約10台駐車可
【訪 城】2007年3月
【撮 影】2007年3月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り
普請
体力消耗度
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


御幸塚城の主曲輪

 現地の状況
 御幸塚城は別名今江城ともいい、小松市立今江小学校を中心とした一帯に築城されていたとされる。
現在では今江小学校グランド南の小高い丘が城山公園として整備されている。地形的にはこの城山公園の最高部が主曲輪と考えられ、主曲輪北東隅の土塁とも思える高地に「今江城」の石碑が建てられている。
 遺構としては見るべきものはないが、公園東側は比高差30mほどの切岸、および今江小学校の校門前の切岸が当時の御幸塚城の面影をとどめている。


曲輪と切岸

 城郭の歴史

 富樫泰高の居館と伝えられ、後に一向一揆の拠点となった。
天正4年(1576)一揆方の内田四郎左衛門(内山四郎左衛門)、林七介らが出陣し大聖寺城にあった織田信長の家臣・将戸次広正を攻撃したという。
 将戸次広正は信長に援軍を求めたが、信長は将戸次広正に変えて佐久間盛政を大聖寺城に入れた。佐久間盛政は徳山則秀と敷地天神山のの砦を攻略し、ついで御幸塚城を落城させた。
 慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの際、東軍についた前田利長が、加賀国内の西軍勢力を押さえるために御幸塚城に山崎長徳、奥村栄明、太田長知等を布陣させた。




観光
浅井畷古戦場
小松市大領町つ137・138番地
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 1600年(慶長5年)関ヶ原の合戦の前哨戦として、金沢城主前田利長(東軍方)と小松城主丹羽長重(西軍方)が戦った。この勝利によって前田家は加越能3ヵ国の領有を確実にした。

安宅の関跡
 小松市安宅町
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 文治3年(1187)、兄源頼朝の目をのがれて、山伏に姿をかえた義経と弁慶の一行が、ここで関守富樫左衛門尉に見とがめられたという物語は、広く知られており、義経・弁慶・富樫の銅像が建てられている


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お勧め度





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