大聖寺城
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 城郭の概要
所在地:加賀市大聖寺八間道
別 名 :錦城
築 城 :鎌倉時代
初城主:狩野一門
区 分 :平山城
遺 構 :曲輪、土塁,空堀
城 域 :400m×500m
     標高 70m
     比高 65m


 現地への案内
交通機関は車を利用
 国道305号線大聖寺、加賀聖城高校の北西200m
 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 錦城山公園の駐車場を利用
【訪 城】1999年,2007年3月
【撮 影】2007年3月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り ☆☆
普請 ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

本丸を望む
錦城公園より本丸、西の丸を望む

 現地の状況
 大聖寺城は大聖寺川の左岸、錦城公園背後の標高70mの錦城山一帯に築かれている。城址一帯は整備され歩きやすい反面、どうしても道に沿って歩くため遺構を見逃し易い。
 本丸を中心として北の丸、二の丸、西の丸、鐘ヶ丸、東丸と6つの大きな曲輪で構成されており、本丸,東丸、および鐘ケ丸等には土塁が残っている。
 錦城山の東麓には大聖寺陣屋が置かれ、現在では、錦城小学校、および江沼神社の境内となっている。
また、錦城山の北東の麓には、大聖寺藩3代目藩主・利直が休息所として建てた長流亭(国重要文化財)が現存する。

縄張り
大聖寺城の縄張り

 城郭の歴史
 大聖寺の名前の由来は、錦城山に白山宮の末寺・白山五院のひとつの大聖寺があったことに由来している。
大聖寺城の初見は「太平記」に建武2年(1335)北条氏の残党・名越時兼が京へ上がろうとしたとき狩野一門がこの城によって迎え撃ったと記されている。
 その後、津葉五郎清文が居城とするが、建武4年脇屋義助に攻められて落城。以後一向一揆勢の拠点となった。永禄10年(1567)越前守護朝倉義景との戦いの中で落城。
 天正3年(1575)越前を平定した織田信長は柴田勝家を加賀に攻め込ませ、湊川まで侵攻。このとき信長は日谷城と大聖寺城を修築させ戸次右近広正を入れた。
 天正11年(1583)越前・北庄城で柴田勝家を滅ぼした豊臣秀吉は溝口金右衛門秀勝を大聖寺4万4千石に封じ、慶長3年(1598)北庄の小早川秀秋の家臣・山口玄蕃允宗永が入城したが、関ヶ原の戦いで徳川方についた前田利長の攻撃を受け、慶長5年(1600)8月3日、丸一日の激戦の末、城は落ち山口宗永は自刃した。山口宗永父子の首は東方700mの福田橋の横に埋められ、首塚が残されているという。
 前田氏は、後に城代をおいていることからある程度修復されたと考えられるが、元和元年(1615)一国一城令によって廃城となった。





観 光
全昌寺
加賀市大聖寺神明町1
TEL 0761-72-1164
大人 500円
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 大聖寺城の城主・山口宗永の菩提寺。大聖寺藩の藩士や町人が寄進した慶応3年(1867)作の五百羅漢が有名。

実性院
加賀市大聖寺下屋敷町
TEL 0761-72-1104
大人 400円
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曹洞宗の名刹で前田家の菩提寺。また大聖寺藩の菩提寺でもあり、裏山には前田家歴代藩主の墓が並び、御霊屋には藩主及びその家族の位牌がある。
 境内や並木道には約2000株の萩が植えられ萩の寺としても有名。


長流亭
加賀市大聖寺八間道
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 旧大聖寺藩邸の園地。池島、涌泉の石組は当時の原形を残しており、数少ない池泉回遊式大名庭園。

雪の科学館
加賀市潮津町
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 雪の科学者中谷宇吉郎の業績と雪の研究が展示されている。


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