龍野城
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 城郭の概要
所在地:たつの市龍野町上霞城
別 名 :霞城
築 城 :明応8年(1499年)
初城主:赤松村秀
区 分 :平城
遺 構 :移築門(東門,大手門),本丸御殿,多聞櫓,模擬埋門,隅櫓,石垣
城 域 : −


 現地への案内
交通機関は車を利用

 詳細位置はコチラ
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 駐車場
歴史文化資料館の駐車場を利用
【訪 城】2007年12月
【撮 影】2007年12月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

龍野城埋門
龍野城埋門

 現地の状況
 龍野城は明応8年(1499年)の赤松村秀の創築に始まり、明治の大政奉還(1867)まで400年近く存続した城として特筆される。

 この間に、戦国期の赤松時代から羽柴秀吉の時代、そして天下泰平の江戸期へと世相は変わり、多くの城郭がそうであったように龍野城の戦略的位置づけも大きく変わったが、400年近く龍野の地に城郭としてあり続けたのには、この地が姫路の西にあって、山陽道と因幡街道、および出雲街道が交わる要衝の地であったことに他ならない。

 こうした時代の変遷は龍野城にも変わることを要求し、龍野城は鶏籠山山頂(標高210m)の鶏籠山城(龍野古城)から、鶏籠山麓の龍野城へとその姿と変えていった。

 現在の龍野城の城壁,多聞櫓,埋門、および石垣は昭和50年から5年間をかけて再建されたものである。なお、本丸御殿は昭和54年(1979)に再建された。

 現存する遺構としては、龍野城東門が市内揖保川町浄栄寺の山門、大手門が同じく揖保川町因念寺の山門として移築されている。
 また、市内揖保川町光遍寺の山門および揖保郡太子町常全蓮光寺の山門が、龍野城からの移築であるといわれている。

多聞櫓
多聞櫓

 城郭の歴史
 龍野城は明応8年(1499年)に播磨,美作,備前を治めていた赤松村秀が鶏籠山に築いたのを創築とし、以後政秀、広貞、広秀と4代続いたが、天正5年(1577年)に豊臣秀吉の播磨攻略時に戦わずして開城した。その後、秀吉は龍野城には腹心の福島政則や蜂須賀正勝を入れ置いた。

 徳川政権下では、播磨は池田輝政の領地となり、龍野城には城代が置かれた。その後は小笠原氏、岡部氏、京極氏と続き、万治元年(1658)京極高知の丸亀移転後14年間は天領となり寛文12年(1672)に信州飯田から脇坂安政が5万3千石で入部し、龍野城が再建された。

 この前後に山頂の城郭は放棄され、山麓居館部のみの陣屋形式の城郭になったとされる。

再建された本丸御殿
本丸御殿



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