黒井城(別名保月城)
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 城郭の概要
所在地:丹波市春日町黒井
別 名 :保月城,保筑城
築 城 :南北朝期か?
初城主:赤松貞
区 分 :山城
遺 構 :石垣、土塁、空堀、堀切
城 域 :1600m×800m
     標高 365m
     比高 約250m


 現地への案内
交通機関は車を利用
国道175号線丹波市役所春日庁舎前から北に入り、興禅寺へ
 詳細位置はコチラ
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 駐車場
登り口に約10台の駐車場有り
【訪 城】2000年9月
【撮 影】2000年9月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

二の丸石垣
二の丸石垣

 現地の状況
 黒井城は篠山盆地の北に位置し、篠山から竹田に抜ける水分れ街道(現国道175号線)を扼す標高365m猪ノ口山の山頂付近に築かれている。
 猪ノ口山の北尾根には千丈寺砦、東尾根には竜が鼻砦、また南尾根には多田砦,的場砦,東山砦を配し、猪ノ口山全体を巨大な城塞となし、八上城,丹波八木城とともに丹波三大城のひとつに数えられている。

 黒井城へは興禅寺を経た駐車場の脇に登り口があり、山門を経て30分ほどで山頂の本丸に着く。この間、東曲輪と三の丸には、ゴツゴツと荒々しい岩肌の石で積み上げた石垣がみられる。
また、本丸南面にも当時石垣が積まれていたであろうと推測できる石垣の名残がある。

 曲輪配置は、東曲輪,三の丸,二の丸,本の丸、および西曲輪を連ねた連郭式の山城で、最高部の本丸からの眺望は素晴らしく、急斜面を登ってきた疲れを忘れさせてくれる。

 なお、麓にある興禅寺は城主の平素の居館の跡であるといわれ、ここは江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母・春日局の生誕の地とされている。


二の丸石垣
二の丸石垣

 城郭の歴史
 黒井城の創築は、南北朝の建武2年(1335)但馬国春日部荘を領した赤松筑前守貞範が、猪ノ口山(標高365m)の山頂付近に築いたを始めとする。
天文23年(1554)には、赤井悪右衛門直正が城主となり、全面的に改修された。

 天正3年(1575)織田信長の丹波攻略の命を受けた明智光秀によって黒井城攻略が開始された。黒井城主赤井直正は善戦し、直正の病死後も子の直家が抵抗を続けたが、大軍をもって攻める明智軍の前に天正7年(1579)に落城した。

 黒井城には、その後明智光秀の家臣・斎藤利三が入城し、拡張、整備してほぼ現在の規模にしたといわれている。

 天正10年(1582)山崎の戦い後は秀吉配下の堀尾吉晴が入城し、慶長6年(1601)関ヶ原の戦い後に廃城となった。



近隣の史跡
織田家廟所
丹波市柏原町東奥


 慶長3年(1598年)6月、織田信長の弟・織田信包が伊勢国安濃津から柏原に移封され、柏原藩が立藩した。

 丹波市柏原町の織田家廟所は、柏原藩を治めた織田休信以降、織田家歴代の藩主とその一族の墓地で、この付近は織田家の菩提寺があったところです。


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