鶏籠山城(龍野古城)
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 城郭の概要
所在地:姫路市飾磨区妻鹿
別 名 :国府山城、功山城
築 城 :元弘3年(1333)
初城主:妻鹿長宗
区 分 :山城
遺 構 :曲輪、石垣(?)
城 域 : −


 現地への案内
交通機関は車を利用

 詳細位置はコチラ
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 駐車場
荒神社横のポンプ場前に駐車
【訪 城】2007年12月
【撮 影】2007年12月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

本丸の石垣
本丸の石垣

 現地の状況
 鶏籠山城は現在の龍野城背後の鶏籠山の山頂付近に築かれた山城で、別名を鶏籠山龍野古城という。

 山頂へは龍野城の御殿横から登山道が整備されており、南斜面を登る大手道と龍野公園横から紅葉谷を詰めて西尾根を登るルートがある。

 紅葉谷からは、登山道の左右に配置された家臣団の屋敷跡、番所跡を見ながら西尾根に取り付くと、20分ほどで二の丸と称する曲輪群に出る。
 曲輪の一画には石垣が組まれている。崩れかけてはいるが、意外に大きな石が使われており本丸の遺構に期待感が高まる。

 数段の曲輪を経て主曲輪に至るが、主曲輪下の曲輪内には割れた瓦が散乱し、この城が少なくとも江戸初期までは使われていたことが、こんなところからも窺える。
 本丸の西側には赤松氏がこの城を築いた時に建てたといわれる八幡宮の跡が残る。八幡宮の南側から本丸への石段を登り、石垣づくりの虎口を抜けると、広さ20m×15mほどの本丸曲輪に至る。

 本丸周囲にはあちらコチラに石垣が組まれいるがいずれも部分的で、城として機能していた当時からこの状況であったのか、山麓の龍野城が築かれた時に石垣の石が運び去られたものかは判らなかった。

 なお、西尾根を登るルートは搦手道のようであるが、尾根筋から本丸まで連郭式に曲輪を連ねた曲輪配置からは、西尾根側が大手道のような印象を受けた。

西尾根の堅堀
西尾根の堅堀

 城郭の歴史
 鶏籠山城は明応8年(1499)塩屋城主・赤松政秀が赤松村秀の為に築城したとされ、初代城主・赤松村秀以後、広貞、広英と赤松氏時代は4代78年間続いた。

 天正5年(1577)織田信長の命を受けた羽柴秀吉は播磨平定にむけて2万余の大軍を率い、揖保川の東岸まで軍を進めた。
 知らせを受けた赤松広英は籠城を覚悟したが、赤松滅亡を憂う家臣の諌めにより戦うことなく開城し、天正10(1582)年、中国攻めの功を認められ但馬竹田城に転封となった。

 開城後、天正9年(1579)鶏籠山城には蜂須賀正勝が入り、その後福島正則、木下勝俊、小出吉政など秀吉の腹心が代々の城主となった。

 鶏籠山城から山麓の近世龍野城へと、城の中心が移った時期は定かではないが、本多政朝が城主になった元和3年(1617)以後のことだと考えられている



西尾根の石垣と曲輪
西尾根の石垣と曲輪



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