出石城
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 城郭の概要
所在地:豊岡市出石町内町
別 名 :出石古城
築 城 :天正2年(1574)
初城主:山名祐豊
区 分 :山城
遺 構 :石垣、土塁、空堀、堀切
城 域 : −
     標高 321m
     比高 約200m


 現地への案内
交通機関は車を利用
出石町城山公園へ
 詳細位置はコチラ
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 駐車場
出石資料館近くに無料駐車場あり
【訪 城】2000年9月,2007年12月
【撮 影】2007年12月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


復元の西隅櫓、背後は有子山

 現地の状況
 出石城は出石川の東、有子山の山麓にあって、背後は有子山城のある有子山を控え、前面には東西に流れる谷山川を堀に見立てて築かれている。
 南側に広がった盆地には城下町が広がり、現在も町中には城下町の雰囲気が漂い、但馬の小京都と呼ばれている。

 出石城の一帯は城山公園として整備され、本丸跡には2つの隅櫓が復元(模擬)されている。
 なお、本丸、および本丸背後の稲荷曲輪の高石垣は当時のもので、3万石の大名の居城としては見事な石垣だが、出石藩の禄高は当初5万8千石であったが、天保6年(1835)の“仙石騒動”で3万石に減らされたと知って納得。

縄張り図
縄張り図

 城郭の歴史
 出石は姫路から城崎に至る但馬街道(国道426号線)沿いにあって、この出石には天正2年(1574)に但馬守護職の山名祐豊が居城・有子山城を築いている。
 天正8年(1580)羽柴秀吉による第二次但馬攻めで山名氏が滅亡後、天正9年(1581)には青木官兵衛、天正13年(1585)には前野長康が封ぜられたが、文禄4年(1594)に豊臣秀次の一族と共に前野長康は自刃させられ、龍野城の小出吉政が封ぜられた。

 慶長9年(1604)小出吉政の嫡男・吉秀の代になり、有子山城が山城でありあまりにも不便だということで有子山の北麓に出石城が築かれた。
 天守閣はなく、最上段の曲輪には稲荷社を祀り、その下段に本丸、ついで二の丸、平坦地に三の丸を配置し、谷山川をもって内堀として出石川を外堀とした縄張りであった。
 その後、小出氏が九代続いた後、元禄10年(1697)に松平氏忠徳(さだのり)、宝永3年(1706)に信州上田城より仙石政明が入封し幕末まで七代続いた。


東隅櫓


本丸下の石垣
本丸下の石垣




出石町の観光
辰鼓楼
辰鼓楼
 辰鼓楼は明治4年(1871)旧三の丸大手門脇の櫓台に建設された鼓楼で、当時は1時間ごとに太鼓で時を告げていた。明治14年に藩医、池口忠恕氏が大時計を寄付してからは、時計台として親しまれ、出石町の観光名所となっている。

家老屋敷
家老屋敷
出石城の内堀の中にあった高級武士の居住として使われていたもので、外観は一見平家に見えますが、隠し二階があり不意の襲撃に備えてあります。
江戸時代における三大お家騒動の一つに挙げられる仙石騒動の中心人物仙石左京の屋敷があった場所のため「左京屋敷」とも呼ばれている。


明治館
明治館
 明治25年に兵庫県下に20軒の郡役所が建てられ、現在では3軒が残っているが、そのうち1件で木造の擬洋風建築の建物は町文化財に指定されている。

出石名物「皿そば」
出石名物「皿そば」
 出石蕎麦の由来は、宝永3年(1706年)に信州上田から国替えになった仙石氏により伝来したといわれている。


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