播磨 赤穂城
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 城郭の概要
所在地:赤穂市上仮屋
別 名 :加里屋城
築 城 :寛文元(1661)
初城主:浅野長直
区 分 :海城
遺 構 :土塁,石垣,堀,復元大手門,復元二重櫓,復元隅櫓
城 域 : −


 現地への案内
交通機関は車を利用
JR赤穂駅から徒歩10分
 詳細位置はコチラ
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 駐車場

【訪 城】2003年12月
【撮 影】2008年8月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

大手門と二重櫓
大手門と二重櫓

 現地の状況
 赤穂城は、JR赤穂駅から南へ徒歩10分ほどで、門と二重櫓が復元されている大手口に着く。
大手橋を渡り枡形虎口を経て三の丸へ入る。この枡形虎口の通路は当時とは逆向きにつけられているというが理由は定かではない。
 三の丸には、大石良雄宅跡長屋、近藤源八宅跡長屋門が江戸期の建築物として現存している。また隣接する大石神社には、大石内蔵助良雄以下四十七義士を主神とし、浅野長直・長友・長矩の三代の城主と、その後の藩主森氏の先祖で本能寺の変に散った森蘭丸らが合祀されている

 本丸虎口は二門形式の枡形虎口で、平成8年に復元された本丸櫓門は真新しさが目につくが、重厚な構えで5万石クラスの大名の城とは思えない造りである。また、広い本丸には庭園、南東隅には天守台が残されている。
赤穂城の縄張り図
赤穂城の縄張り図

 城郭の歴史
 文正元(1466)年〜文明15(1483)年頃、播磨守護赤松満祐の一族である岡光広がこの地に築城し、刈屋城と称したのが赤穂城のはじまりとされている。
 刈屋城は、赤松氏の勢力が衰退すると、一時期備前・備中の宇喜多氏の勢力下に入った。
 慶長5年(1600)関ヶ原の合戦で西軍に属していた宇喜多氏は改易となり、 元和元年(1615)池田政綱が3万5千石で入城し赤穂藩が成立した。

 正保2年(1645)池田氏2代輝興が改易されると、常陸国から浅野長直が5万3千石で赤穂に入り、慶安元年(1648)から宇喜多氏、池田氏時代は陣屋造りであった赤穂城を本格的な城郭として築城を開始した。
 当時、武家諸法度により新たに城を築くのは禁じられていたが、特例として幕府から赤穂城築城が許可され、天守あげる構想はあったが、建てられることはなかった。

 縄張りは兵法者として有名な山鹿素行がおこない、五稜郭にみられる大砲交戦を意識した三角形の稜堡を組み合わせたもので、大手口を突き出し、搦手口を瀬戸内として、大手口に敵を集めるよう意識した縄張りとされる。

 元禄14年(1701)城主・浅野長矩(ながのり)が江戸城松の廊下で高家・吉良義央に刃傷に及び切腹、浅野家は断絶した。
 その後、城主は永井氏に代わり、宝永3年(1706)に森家が備中・西江原から転封され、2万石で赤穂城に入り、以後160年間森家の領する城として明治を迎えた。

本丸虎口
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