英賀城
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 城郭の概要
所在地:姫路市飾磨区英賀宮2丁目
別 名 : −
築 城 :永享年間
初城主:赤松祐尚
区 分 :平城
遺 構 :土塁
城 域 : −


 現地への案内
交通機関は車を利用

 詳細位置はコチラ
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 駐車場
付近に駐車場は無い
【訪 城】2007年12月
【撮 影】2007年12月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

英賀神社本殿背後の土塁
英賀神社本殿背後の土塁

 現地の状況
 英賀城は夢前川の河口近くの東岸にあって、山陽道(現国道2号線)を押さえる位置にある。
 本丸の位置を示す石碑が、中浜橋の西約150m付近に建てられており、英賀城は西には夢前川、東には水尾川が流れ、北は湿地帯であったとされる。
 この本丸跡の北西500mに位置する英賀神社付近が西端にあたり、英賀神社の本殿背後には土塁が残り、土塁上には琴平社、塩寵社、および一の宮社が祀られている。

 英賀神社の北側に隣接する英賀城跡公園には、天守台ともとれる石垣が組まれているが、英賀神社よりも低地にあり、石積みと共に城郭位置も“眉唾”である。
 なお、英賀城跡公園の西隅に、英賀城十門跡のひとつ野中之口跡を示す石碑が建てられている。
 
 その他城郭遺構は英賀神社から東約500mの法寿寺跡に土塁が残されている。この法寿寺跡は英賀城十門跡のひとつである井上口之跡でもある。
 法寿寺は英賀城が落城した天正8年(1580)の約100年後、英賀城主三木氏の後裔古今が延宝年間に中興造立した寺で、現在では廃寺となっているが薬師如来が安置されており英賀薬師として親しまれている。
 法寿寺跡の北側に幅18mの外堀があったとされるが、現在は埋め立てられ住宅地となっている。また、法寿寺跡の一画には、宝永9年(1681)山崎山にあった英賀城主三木一族の墓が亀山本徳寺西山御廟建立のために移転してきている。

 なお、矢倉公園には山科之口の石碑があるという。また英賀保小学校の正門前の小公園前に英賀地区の史跡案内板が建てられているので、現地を訪れる際には参考にすると良い。

英賀城跡公園の石塁
英賀城跡公園の石塁

 城郭の歴史
 英賀城は、永享年間の初めに赤松祐和によって築かれた。嘉吉の乱で赤松氏が勢力を失った後、三木通近が城主となり城を整備、以後三木氏の代々の居城となった。
 戦国期、置塩城の赤松宗家の力が衰えると、播磨は三木城の別所氏や御着城の小寺氏が勢力を拡大し、英賀城内には真宗の英賀御坊が建立されるに至り、播磨国は混乱を極めた。

 天正5年(1577)織田信長は羽柴秀吉に命じて播磨へ侵攻し、翌6年に別所長治をはじめ播磨諸将は織田軍と対峙したが、天正8年(1580)には三木城が落城し、前後して英賀城も落城した。  

井上之口跡の土塁
井上之口跡の土塁



観 光
書写山円教寺
書写山円教寺
 書写山(標高370m)は姫路市の北部にあり、山上の円教寺は性空上人によって開かれた天台宗のお寺で西の比叡山ともいわれ、西国霊場の第27番札所として知られている。
 天正6年、羽柴秀吉が播磨三木城主の別所長治を攻めた時、書写山に砦を作り陣を据えたところでもある。

 近年では、「ラストサムライ」の舞台にもなっている。


姫路城西御屋敷跡庭園(好古園)
 姫路城西御屋敷跡庭園「好古園」は、発掘調査で確認された姫路城の遺構を生かし、市制100周年を記念して平成4年に造営された日本庭園。

 姫路城の南西に位置し、面積は約1万坪(3.5ha)。
 滝や池のある池泉回遊式の「御屋敷の庭」や本格的数奇屋建築の茶室、双樹庵のある「茶の庭」など9 つの庭園群で構成。江戸時代をしのばせる築地塀や屋敷門・長屋門などがあり、時代劇や大河ドラマのロケ地としても使われている。


姫路市立美術館
姫路市本町68-25
TEL:079-222-2288

 ポール・デルヴォーをはじめとするベルギー美術、姫路にゆかりのある作家たちの作品も収蔵しているほか、企画展も随時開催されている。

入館料:大人200円


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お勧め度








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