垂井城
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【城郭の概要】
所在地:不破郡関ヶ原町玉
別 名 : −
築 城 : −
初城主:平塚為広?
区 分 :平城
遺 構 : −
城 域 : −



垂井城跡と伝えられる専精寺

【現地への案内】
 国道21号線から旧中山道(国道21号線の北)に入り、城南宮の大鳥居をくぐって300ほど南へ行った玉泉寺の南側

【駐車場路上駐車
【訪 城】2003年3月
【撮 影】2003年3月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★☆☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 垂井城はJR垂井駅の西500mほどにある専精寺(せんしょうじ)が垂井城の跡と推定され、石碑が建てられている。
 このあたり、専精寺と玉泉寺、北側の永正寺と三つのお寺が隣接して立ち非常にややこしい。(~~)

【城郭の歴史】
 ここは関ヶ原合戦に活躍した西軍の武将平塚為広の居城跡と云われています。
 平塚為広は豊臣秀吉に仕え。1万2千石の垂井城主となりました。大谷吉継と西軍に属し、伏見城の戦い、大垣城の譲渡交渉などに活躍し決戦当日には病気の吉継に変わり、太谷隊を指揮しました。小早川秀秋が西軍を裏切り太谷隊へ攻めかかると、為広は大長刀を振り回し、小早川隊を再三追い返しましたが力尽き、山内の家臣樫井太兵衛に討たれました。
 敗軍の中、辞世の歌を大谷吉継に送っています。
 名の為に捨つる命はおしからじ
   ついにとまらぬ浮き世と思えば
垂井町教育委員会

 垂井城は中山道垂井宿の西南に位置する高台にあったと考えられており、垂井の泉の裏にある専精寺は特に周囲より一段高くなっていることから、垂井城があったのではないかと推定されている。
関ヶ原の戦いでは8月24日岐阜城を落とした東軍は赤坂へ到着、東軍は垂井,関ヶ原方面に放火したとされ、この東軍の赤坂進行後、間もなく落城したのではないかと考えられている。

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