玉城
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【城郭の概要】
所在地:不破郡関ヶ原町玉
別 名 : −
築 城 : −
初城主: −
区 分 :山城
遺 構 :竪堀,堀切,土塁,井戸
城 域 : −



玉城主曲輪から東方(関ヶ原方面)の眺望

【現地への案内】
 国道21号線山中交差点を北へ、大谷吉継の墓を目当てに黒血川を遡る
詳細位置はコチラ 


【駐車場路上駐車
【訪 城】2003年3月
【撮 影】2003年3月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 関ヶ原の大谷吉継の陣跡の西側、城山と称される山頂付近に築城されている。
登り口は比較的斜度が急な北東と、なだらかな斜度の南西斜面からと、二つの道があるようだ。今回は関ヶ原の戦いの際、大谷吉継が陣を構えたと伝えられる大谷陣の北側から登る。麓はなだらかな山容であるが、登るにつれて斜度がきつくなり、山頂近くでは葛折になった遊歩道を登ると約20分ほどで山頂に出る。
 山頂は思った以上に広く、東西に広がる尾根には曲輪がいくつか設けられているが、ほとんど明確な境目がなく、何となく締まりがない。
北斜面の竪堀
堅堀

山頂からは北〜東に眺望が開け、関ヶ原で分岐する中山道と北国脇往還道が一望でき、要衝の地にあることは一目瞭然である。
この山が単独峰であることもあって西〜南にかけても眺望が期待されるが、雑木のため見通しは良くない。
 主曲輪北側には帯曲輪を2段、東側には袖曲輪を配し、西側尾根は堀切で処理されている。曲輪の中でも南側斜面の中規模の曲輪は削平は不十分ながら、眼下に走る中山道に対しては眺望も良く、出曲輪、あるいは物見台的な役割を果たしていたことが考えられる。
 この山の位置から考えて、関ヶ原で分岐する中山道と北国脇往還道を監視する東向きの城と考えられるが、東斜面の防御は斜度の大きな斜面に依存する形で防御施設は何もない。それに引き替え西側は、緩斜面とは云いながら堀切を設けているのが、いかにも江濃国境の境目の城として、複雑な歴史を辿ってきたことを感じさせる。
また、主曲輪周囲の曲輪をを含めた周囲斜面には15本ほどの堅堀を配しているが、この堅堀にしてもとりとめのない配置で、どの方向に敵を想定しているのか皆目読みとれない。
ただ、堅堀には痕跡程度のもや、現在でもその目的を十分果たすであろうと考えられるもの等、深さや規模から少なくとも2種類には大別できる。つまり、この城は戦国時代に少なくとも2度の改修を受けていることが伺いしれる。

 休憩所のある主曲輪には東と西に虎口を設けているが、いずれも平虎口で、江濃国境の境目の城と云う性格から、近江における虎口の発達経過を当てはめると最終的に改修を受けたのは永禄末期から元亀年間にかけてではないかと推察された。

【城郭の歴史】
 南北朝時代、清和源氏の佐竹義春が足利尊氏におわれ、ここに砦を築いたと伝えられています。また、戦国時代には浜六兵衛や杉山内蔵助が板とも伝えられています。ここに砦を築いたのでは北国街道と中山道にはさまれた大切な場所であり自然の要塞であったからでしょう。   関ヶ原町  現地案内板より

【境目の城としての可能性について】
 江濃国境付近にある玉城は、美濃、近江の戦国武将が多様な目的で使ったであろうことは容易に想像されますが、こうしたことについて記載された史料はないようです。
しかし、そうしたことを裏付ける史料が幾つかあるので紹介しておきます。

 関ヶ原町史に「浅井長政松尾山を占領す」(遍照山文庫所蔵)の記述があります。
この松尾山というのは関ヶ原の松尾山城のことで、この遍照山文庫に記載されている松尾山が長亭軒かどうかは別として、ここでは浅井長政が関ヶ原まで進出してきていることに私は注目しています。
つまり、こうした時期に玉城にも浅井氏が入っているのではないかと考えています。
 同様に浅井氏の勢力範囲が関ヶ原まで及んでいたのではないかと考えられる資料がありますので、併せて紹介しておきます。

浅井三代記の 「遠藤喜右衛門尉小谷へ馳帰事」では、永禄11年に織田信長が佐和山城に出向き、初めて浅井長政と対面し、逆徒三好を討つために京へ上がるについての協力を要請したことの記述があります。
その記述の中で、浅井長政の協力を取り付けた信長を浅井の家臣・遠藤喜右衛門が関ヶ原まで見送ったと書かれています。つまり、浅井長政は自領地内で信長に万が一のことがあってはとの配慮から遠藤喜右衛門に送らせたと考えられ、この時期に浅井氏は関ヶ原近くまでを勢力範囲としていたことが窺えます。

以下、遍照山文庫
 「永禄之此,信長卿御合戦之節,浅井旗下堀次良,濃州長亭軒之城ニ樋口三郎兵衛ヲ差置,次良依幼少樋口執柄タリ,其頃信長公ヨリ秀吉エ仰アリケル故,重治長亭軒ヘ行テ樋口ニ有対面,信長卿に属セシム,信長公御感有テ,時ノ為御褒美則鎧一領刀一腰黄金等重治ニ被下ケルト也,此刀関ノ元重ナリ(とも)云々
 右長亭軒ト云ハ,不破郡松尾山之事也,古城ノ跡残レリ」

 尚、こうした江濃国境の城については、信長公記に見る近江の城郭に詳しく記述していますので参考にしてください。

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