美濃 竹ヶ鼻城
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【城郭の概要】
所在地:羽島市竹ノ鼻町丸の内
別 名 : −
築 城 :応仁年間(1467〜69)
初城主:竹腰伊豆守尚隆
区 分 :平城
遺 構 : −
城 域 : −

市指定史跡



竹ノ鼻城跡
竹ノ鼻城跡

【現地への案内】
 羽島市役所の北約500m、東本願寺竹鼻別院前
詳細はコチラ 

【駐車場東本願寺竹鼻別院の駐車場を利用

【訪 城】2005年3月
【撮 影】2005年3月

評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★☆☆

 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 竹ノ鼻城の城示日は歴史博物館の前に建てられているが、現地の案内板を読んでも、結局どこにあったのかはっきりしない。(^^;

 西に長良川、東に木曽川が流れ、両河川を総堀とした要害地形に築城されていたと考えられるが、400年の間に川は流れを変え、市街化に伴う開発で、当時の要害地形は変貌してしまっているのだろう。

【城郭の歴史】
 竹ヶ鼻城は「美濃古城史」によると、応仁年間に竹腰伊豆守が築城したとある。
天正9年(1581)城主不破源六は、一時荒廃していた城を拡大し、城の鬼門の守護神として八剣神社を遷座し、菩提所本覚寺を創立した。

 同12年5月、小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉の水攻めにあい1ヶ月後に開城した。
最後の城主杉浦五左衛門は織田秀信(岐阜城主)の麾下にあり、慶長5年(1600)8月、関ヶ原の戦いで東軍の攻撃を受け自害して、城は炎上し廃城となった。

 城跡の位置は、戦前は竹鼻町1507番地(昭和6年県指定)、戦後は竹鼻町丸の内3丁目48番地の1(昭和30年市指定)となったが、これらは口承や地形、文献から推定したもので、石垣などの確証は未だ得られていない。

 今回、本丸の跡と刻む石標を、この地(竹鼻町2624番地の1)へ移したのは、すぐ道を挟んでお城地蔵尊(昭和25年石標と共に町史跡保存会が建立)があることや、近年城町開拓に文書資料から 、この地の辺りが本丸の跡とみる新説が出され、今後の研究進展を期待したことによる。
羽島市教育委員会

 天正9年(1581)竹ノ鼻城は羽柴秀吉の水攻めによって開城したが、その時の水攻めの様子を、 「城のまはりは五十余町に、高く堤を築あげせきかけしかば程なく湖水に成」と「豊鑑」には記されている。

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