高山陣屋
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【城郭の概要】
所在地:高山市八軒町
別 名 : −
築 城 :元禄8年(1695)
初城主:伊奈十郎忠篤
区 分 :館
遺 構 :米蔵,正門
城 域 :111m×111m

国指定史跡

陣屋の表門
陣屋の表門

【現地への案内】
国道158号線八軒町
詳細位置はコチラ 

【駐車場高山城専用駐車場若しくは市営駐車場
【訪 城】2003年6月
【撮 影】2003年6月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 高山陣屋は、城廻りをするようになって訪れるのは2度目だが、前回は陣屋を訪れる人の多さに嫌気がしてパス。
今回は人は少なかったのだが、閉館されていた。(^^;)
周囲を回りながら、陣屋内部の様子を垣間見る程度でヨシとした。お陰で逆光ながら人気にない写真が撮れた。(^^)

【城郭の歴史】
 元禄5年(1692)7月高山城主金森頼岩は出羽国上ノ山に転封となり、飛騨国は徳川幕府の直轄領となった。幕府は8月18日関東郡代伊奈十郎忠篤に飛騨代官を兼務させ、22日に加賀藩主前田綱紀に高山城在番を命じた。伊奈代官は金森氏家臣四家の屋敷を会所として金森氏転封後の事務処理にあたった。
 元禄8年(1695)4月高山城の取り壊しが始まり、金森重頼の三人の娘が居住していた向屋敷に代官所を移して高山陣屋と称した。以後明治維新に至るまで飛騨国内の政務は高山陣屋で執行された。
 元禄8年当時の高山陣屋は約38,000m2の広大な敷地を有していた。高山城三の丸にあった米蔵二棟を陣屋内に移築し御蔵とした以外、建物の配置,規模などは不明である。享保10年(1725)老朽化が激しきなった高山陣屋の建物は御蔵以外全て解体され、旧材を利用して御役所と御役宅に区分して建て替えられ、陣屋としての形態が整えられた。しかし、敷地は三分の一に縮小されている。その後、文化13年(1816)御役所、文政13年(1830)郡代役宅、天保3年(1831)御門と陣屋の建物は漸次改築された。
 この間、享保14年に美濃国の一部、明治4年(1767)に越前国の一部飛騨代官の所管地となり、また同6年12代代官大原彦四郎紹正が布衣郡代に昇進し、関東,西国,美濃と並んで飛騨は幕府の中でも有数の地位を占めるに至った。
 明治維新後、飛騨県,高山県,筑摩県,岐阜県と行政区画が変転する中にあって、旧高山陣屋は県政の庁舎などに転用され、また敷地も分割されていった。昭和44年飛騨県事務所が移転し、高山陣屋跡の管理は岐阜県教育委員会が所管することとなった。岐阜県教育委員会は全国にただ一つ現存する幕府の陣屋跡を後世に保存すべく、昭和45年以来、文化庁の指導・支援を得て復元修理工事を実施している。  
岐阜県教育委員会 現地案内板より

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