萩原諏訪城
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【城郭の概要】
所在地:下呂市萩原町萩原
別 名 :荻原旅館
築 城 :天正年間
初城主:佐藤氏,金森長近
区 分 :平城
遺 構 :石垣,堀
城 域 : −
     標高 432m
     比高 12m
県指定史跡

石垣と堀
諏訪神社の石垣と堀

【現地への案内】
国道41号線からJR飛騨萩原駅方面(東)に入り200m、諏訪神社
詳細位置はコチラ 


【駐車場路上駐車
【訪 城】2000年8月
【撮 影】2000年8月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 蛇行する飛騨川に背後を守らせる形で築城されている。現在の諏訪神社が本丸で、南側に二の丸、東側に三の丸,屋敷を配し、周囲に飛騨川の水を引いて堀としていたという。城域をJR高山線の辺りまでとしていたが、それらの遺構は諏訪神社境内に本丸石垣と堀が残るのみである。
縄張り図


【城郭の歴史】
 この城址は豊臣家の武将金森長近が天正13年(1585)飛騨を支配していた三木氏を滅ぼして、飛騨国領主となった時、高山に本城を置き支城として古川(吉城郡古川町)に増島城を、そしてこの地の桜洞城(当町桜洞)を廃して築いた諏訪城の城址である。

 この地には既に諏訪神社が祀られていたため神社を当町上村の大□寺東南山麓に遷して工事を行った。築城を担当した美濃国上有知の城主佐藤六左衛門秀方は工事材料に近在の仏堂を壊して利用したと伝えられ、また片目の蛇の話や、この地に梅が育たないと云った伝説の主として秀方のおこないが伝えられている。
 その後、徳川時代、幕府の一国一城令によって増島城と共に元和5年(1619)廃城となり、金森家の旅館となった。元禄5年(1692)金森氏6大頼時の時、幕府は飛騨の地を幕府直轄地とし元禄8年(1695)高山城と共に、この旅館も取り壊されて110年に渡る歴史を閉じた。そして再び地元民の請願で宝永6年(1709)諏訪神社を遷し現在に至っている。
 本丸屋形、門その他の建築物の全ての遺構は不明であるが矢倉跡の石塁が東西南北の4ヶ所と西中間に中間矢倉跡がある。水堀は東方および南方半分カギ型に残り大手西側に空堀が残っている。
昭和41年岐阜県史跡として再指定された。また昭和48年石垣の補修工事を行った。
現地案内板より

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