猿啄城
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【城郭の概要】
所在地:加茂郡坂祝町勝山字城山
別 名 :猿飛城、根尾山城,勝山城
築 城 :応永年間
初城主:西村豊前守善政
区 分 :山城
遺 構 :曲輪
城 域 : -



勝山山頂からの遠望
勝山山頂からの西方の眺望

【現地への案内】
国道21号線勝山の信号を北に入り焼く500m
詳細位置はコチラ 

【駐車場駐車場を利用 5〜6台
【訪 城】2003年9月
【撮 影】2003年9月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★★★
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 国道21号線を美濃加茂から岐阜方面に車を走らせると、坂祝町辺りから、左手に木曽川、右手に山塊が張り出す隘路地形となる。 こうした地形の中で、猿啄城のある勝山は、三角おにぎりをイメージさせる山形をしており、その急峻さが山形を見るだけで容易に想像がつく。またその山頂には天守閣を思わせる展望台が見える。
 国道21号線、勝山の信号を北に入り、案内板に従って500mも走ると駐車場に着く。 山頂展望台へは急峻な斜面につけられた九十九折りの道を登ると、約20分で山頂に出る。山頂は、東西20m,南北15m程度の狭い平場があるだけで、思わずここが城?といった疑問が湧く。
天守閣をイメージさせる展望台
展望台

山頂には二層二重の城をイメージした展望台が建てられおり、眼下に蛇行する木曽川を望み、木曽川によって形成された隘路を経て、右手に西美濃、左手に東美濃の平野を一望することが出来る。西美濃と東美濃の明瞭な境界線は明確には定義されていないようであるが、ここ猿啄城から見る景色は、まさにこの辺りが西美濃と東美濃を分ける境界ではなかったかと思わせる。
 山頂の狭い平場だけでは城とは云えず、周囲を探すと山頂の東側斜面は比較的なだらかで、曲輪として利用出来そうである。少し下った北側にも猫の額ほどの削平地、また100mほど下ると、「頂上まで200m」の標識の上方斜面にも幅20m、長さ30mほどの削平地が広がる。削平状態も良好である。
そのほかにも注意してみるといくつもの曲輪らしき平場が確認出来る。
 猿啄城は山頂に見張り台的な機能を担わし、防御は急峻な斜面に設けられた曲輪群をもってなされていたように感じた。
 
【城郭の歴史】
 別の名を猿飛城、根尾山城とも呼んだ。記録によれば応永の頃(1407年)西村豊前守善政(よしまさ)の城であったという。
下って享禄3年(1530)より田原左衛門の居城となる。天文16年(1547)同族の多治見修理は謀反をして城を奪い、以後18年間在城したが、永禄8年)1565)織田信長は丹羽長秀に命じて中美濃を攻めさせ、その緒戦で先陣の河尻鎮吉によって落城した。
この時、信長は幸先よしと猿啄の地名を勝山と改称、以後勝山城となる。
功により河尻鎮吉は勝山城主となるが、天正3年(1595)岩村城に移るに及んで廃城となった。
現地案内板より

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