大桑城
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【城郭の概要】
所在地:山県市高富町大桑市洞
別 名 :土岐氏城
築 城 :鎌倉時代
初城主:大桑氏
区 分 :山城
遺 構 :石塁,土塁,竪堀,堀切,井戸
城 域 :650m×420m
     標高 405m
     比高 345m
町指定史跡

ミニチュア天守閣
山頂のミニチュア天守閣

【現地への案内】
国道256号線伊佐美の信号から県道174号線に入り、六反方面へ
詳細位置はコチラ 


【駐車場麓に5〜6台の空地
【訪 城】2003年5月
【撮 影】2003年5月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★★
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 屋敷跡と推定される麓の畑地には四国堀を称される堀と土塁が残っている。この「四国堀」、どのような堀なのか興味を持っていたのだが、普通の堀であった。(^^)
現地の案内板によると、当時の守護土岐頼芸が斉藤道三との戦いに備えて、越前等4カ国の軍勢の力を借りて造ったもので、四国の軍勢が造ったものを四国堀と称しているそうである。その他、越前堀というのもあったようであるが、消失したらしく見つからなかった。

 登り初めてすぐに大きな堀切に出る。こんな低い位置に、何の目的で造られたものなのか全くわからない。後年のものかとも考えたが、間違いなく堀切である。
登山用の道が大手道で、整備されていて登りやすいが、20分ほど登った所から尾根筋の遺構を探して大手道の西側の尾根を直登する。
 尾根を25分ほど登ると馬ならし場と称される曲輪の堀切に出る。この間、岩を削り出した切岸が2ヶ所と数カ所の曲輪を確認できる。
この曲輪、馬ならし場と称されているが、大桑城の西、および南側の防御の役割を担っており、一城別郭の西城と云える。
 西城から東城へは一旦下って、再度比高差30〜40mを登る。主曲輪は30m四方程度の広さで北側背後に物見の高台がある。
満々と水をたたえる井戸
井戸

主曲輪西側斜面の曲輪群は削平もきれいで、西城とは明らかに手の入れ方が異なる。また、長さ5〜6mに渡って、数段の石積みも見られる。
もう一つの見所は霧井戸である。尾根から比高で50mほど下ると、直径1mほどの井戸があり、きれいな水を満々とたたえている。透明度は高いが落ち葉で深さがわからず、1.5mのトレッキングポールを入れてみたが確認できなかった。今まで幾つもの山城で井戸を見てきたが、この井戸は驚異である。

【城郭の歴史】
 山県市大桑には古くより大桑氏を称する豪族がいたが、承久の乱に敗れ、替わって逸見義重が入部、その子重氏が大桑城を創築し、大桑氏を名乗ったとされる。大桑城は岐阜城の4km北方に位置する要害であったので、戦国期は府城の詰城として土岐氏主流の人物が相次いで居城した。
 その後斉藤道三の台頭により十代頼純は追われてこの城に入り病死。十一代頼芸に至っては3度もこの城に逃げ込み籠城し、都度落去して再起を図ったが、天文21年(1552)ついに攻略され土岐氏は滅亡し、大桑城も廃城となった。

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