美濃 大洞城
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 城郭の概要
所在地:関市富之保大洞町一柳
別 名 :一柳城
築 城 :天文年間(1532〜55)
初城主:宇佐見左衛門尉
区 分 :山城
遺 構 :土塁,竪堀,堀切,石垣,櫓台
城 域 :170m×250m
     比高 130m程度
 現地への案内
交通機関
県道63号線から一柳神社へ、一柳神社は奥まっていて判り難い、スパー横の細い道を入る

 詳細位置はコチラmapfan

 駐車場
一柳神社に2台ほど駐車可

【訪 城】
2003年5月
【撮 影】2003年5月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


主曲輪南側の石垣
主曲輪南側の石垣

 現地の状況
 大洞城は武儀町一柳の標高260m(比高127m)の山頂付近に築かれており、西を武儀倉川、東を津保川が流れ、二つの川は約500m下流で合流して三方を川に囲まれた地形にある。

 一柳神社の背後の谷筋から登ると、10分ほどで尾根に出る。登ってから気がつくが、谷は次第に細くなり、いつの間にか竪堀となっている。
 尾根に出る手前には曲輪が幾つか認められ、そのひとつの曲輪に石積みが残る。尾根に出ると、水無神社からの尾根道と合流する。

 主曲輪の広さは30m×40mほどで、東側は津保川へ落ち込む急斜面をなし、北,西,南側は緩斜面であるが、それぞれの尾根筋は堀切、竪堀で処理されている。

 主曲輪の北東隅には外枡形形状の虎口が設けられ、主曲輪南側と東側には石垣が残っている。石垣に裏込石は使われていないが、400年以上も崩れることなく残っているのは牛蒡積みの手法が用いられているためではないか。


 城郭の歴史
 美濃を攻略した織田信長は、郡上八幡城の遠藤慶隆の南下に備えて、大洞城を一柳直末に命じて改修させた。
天正15年(1587)豊臣秀吉は遠藤慶隆を加茂郡小原に転封し、大洞城には曽根城主・稲葉貞通を入封させ、武儀郡の北部も領地に編入させた。
 稲葉貞通は郡上八幡城の改修と共に、大洞などの6つの支城に一族を配置した。中でも大洞城は加茂郡から郡上八幡に至る重要な位置にあり重視された。

 慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの際、遠藤氏は東軍に属して郡上八幡城、大洞城を攻めた。戦後、稲葉氏は豊後・臼杵城主として転封され、郡上八幡城に再び遠藤氏が入城したが、領地は郡上郡のみとされたため、大洞城は廃城となった。

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