美濃 大垣城
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 城郭の概要
所在地:大垣市郭町
別 名 :巨鹿城
築 城 :天文初年(1530代か)
初城主:宮川安定または竹腰直綱とも
区 分 :平城
遺 構 :復興天守閣,石垣,堀
城域 : −
   市指定史跡


 現地への案内
交通機関
JR東海道線大垣駅下車、南へ500m
詳細コチラ
 


 駐車場
専用駐車場を利用

【訪 城】2000年8月
【撮 影】2000年8月,2008年3月

メモ
評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)

大垣城天守閣
大垣城天守閣
 現地の状況
 大垣市内の中心部にあって市民に親しまれている大垣公園が、大垣城の本丸跡である。

 築城当時は水門川を外堀にし、中堀、内堀を巡らしていたとされるが、現在では中堀、内堀は埋め立てられ、外堀跡の水門川が残るのみである。
また、惣構えの城内には大手口、南口、柳口、竹橋口、清水口、辰之口、小橋口の七口之門があった

 四層四階建ての天守閣は昭和11年に国宝に指定されたが戦災で焼失した。現在の天守閣は、昭和34年に外観を当時のままに復元されたものである。
 四層四階の “四” を嫌われた為か、記録や絵図などでは、大垣城の天守を三層としていたという。事実、第三代将軍・徳川家光が描かせた天保城絵図に描かれている大垣城天守は三層に描かれている。

家康,秀忠,家光と歴代の将軍が大坂の陣や上洛の際にこの大垣城を宿城としており、大垣城の中心部が本丸と二の丸が並立的な縄張りに反映されたと考えられている。
江戸初期の大垣城の縄張り
江戸初期の大垣城の縄張り

 城郭の歴史
 大垣城は西美濃の要所にあって、牛屋川(現在の水門川)を利用して築かれた平城である。
 創築については二説あり、一説は明応9年(1500)2月、竹腰彦五郎尚綱は牛屋郷に築いたというもので、竹腰家旧記の古文書によれば牛屋の城と書かれているが、元々大垣は安八郡牛屋村大尻と呼ばれ、「大尻」は大垣の古名ある。
 その後、摂津重直が大垣6万石を領有して在城したが、天文13年(1544)織田信秀に攻め落とされた。

 一方、美濃明細記・大垣城主歴代記などの古文書には、この地は室町時代の初期から大垣氏が牛屋東大寺という館に住んでおり、天文4年(1535)3月宮川吉左衛門尉安定という土豪がその大垣氏の館近くに安八郡青柳村割田の空城の門や石垣を運んで城郭を構えたとある。
 これを大垣城と呼ぶようになったのは、城の周囲に垣根を巡らしたことから「大尻」を改め「大垣」にしたとも伝えられている。


 大垣は戦略上の拠点として重視され、越前の朝倉氏、美濃の斉藤氏、尾張の織田氏などの武将たちによる争奪の地となり城主の入れ替わりも頻繁に行われた。

 関ヶ原の合戦の時には石田三成等西軍の諸将が在城したが、落城後は城番が置かれ、石川氏3代、松平氏2代、岡部氏2代、松平氏1代の後、戸田氏が入城し、明治2年の版籍奉還まで11代続いた。(現地案内板に加筆)

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旧柳口門が移築された東門
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大垣城戌亥櫓
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鉄門跡の礎石
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