小島(おじま)城
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【城郭の概要】
所在地:揖斐郡春日村六合
別 名 : −
築 城 : −
初城主: −
区 分 :山城
遺 構 :空堀,堀切,竪堀,土橋
城 域 : -
     標高 320m
     比高 170m


土塁と空堀
土塁と空堀

【現地への案内】
県道32号線を春日村まで、途中小島城への標識があり、標識に従って小島頓宮まで
詳細位置はコチラ 

【駐車場道脇に駐車
【訪 城】2003年9月
【撮 影】2003年9月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 登り初めて5分ほどで、巨大な竪堀に出る、この竪堀を境にして城域となる。こうした巨大な竪堀を入れて城域防御する技法は小寺城にも見られ、大きな山塊の一部を城郭とするための工夫が窺える。西美濃においてはひとつの山自体が非常に大きいことに起因しているのかも知れない。
 竪堀を境にして曲輪が連続的に続き、曲輪の数は数えきれず。(^^;
約25分ほども登るとやっと最高部の曲輪に出る。その間、普通でさえも急峻な尾根上に、曲輪が形成する切岸の連続で、この日3つ目の山城と云うこともあって少々疲れた。(^^;
 曲輪が幾つあるのか気になるのは誰しも同じなのか、春日村教育委員会の手によって曲輪には番号がつけられている。番号の付け方は不明だが、A,B,C系統でつけられており、その最大番号がA35,B23,C20 であった。単純に考えると約80ほどの曲輪があることになる。
「当たらずしも遠からず」といった感がある。

 最高部の曲輪に至るまでに横堀,竪堀は幾つあったかと云った疑問は、馬鹿馬鹿しくて考える気にもならなかった。(^^)
最高部の曲輪の背後は、尾根を空堀で削り取り、一騎駆け形状にして処理しているのは非常に珍しいものだった。

【城郭の歴史】
 当城は築城年月不詳。正和年間(1312〜1316)頃より20余年間は南朝方に属したる、西尾右京亮、堀部太郎兵衛尉在城(楠公千早挙兵より20年前)。
延元2年(建武4年 1337)以降元中7年(1390)間での50余年間は北朝方に属し土岐氏の居城となった。就中文和2年(1353)城外に足利義詮等、後光厳天皇(御年16歳)を奉じて頓宮を営む等、武家や公家の往来も激しく、あの絢爛たる室町時代、業生の基となりたる。
現地案内板より

 美濃,尾張,伊勢守護となった土岐頼康は小島城を居城とし、改修したとされる。明徳元年(1390)頼康の養子となった康行の代、小島城は幕府の命を受けた京極高秀等の攻撃を受けた落城した後、廃城となった。

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