梨打城
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【城郭の概要】
所在地:吉城郡国府町八日町,漆垣内
別 名 :梨内城
築 城 : −
初城主:江馬氏
区 分 :山城
遺 構 :土塁,堀切,横堀,竪堀
城 域 : −
     標高 749m
     比高 230m

横堀
西曲輪西側の横堀

【現地への案内】
 国道41号線広瀬の信号から県道76号線に乗り換え、東へ約2.5km、日枝神社

詳細位置はコチラ 

【駐車場路上駐車
【訪 城】2005年6月
【撮 影】2005年6月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 日枝神社背後の尾根道を登り詰めること約25分で、梨打城の西端の曲輪直下の竪堀に出る。この間ハイキング道といってもよいほど歩きやすい道があるのだが、麓の日枝神社近くでは下草のため、この道を見つけるのは難しいかも・・・・・。尾根を直登すると尾根幅が狭くなる辺りで、九十九折りに付けられた道と自然に合流する。

 梨打城は、通称 “城山” と称する標高749mの山頂の主曲輪を中心として、東西、および南に延びる尾根に曲輪を配置しており、大きくは以下の4つの区域に分けることができる。
@中央部の主曲輪に付随する帯曲輪、A西端の曲輪(ここでは便宜上、西曲輪とする)から主曲輪までの間の曲輪群、B主曲輪東側の曲輪(東曲輪とする)と付随する曲輪群、C主曲輪南側の曲輪(南曲輪とする)と付随する曲輪群
 西曲輪は城域の西端に位置し、西側の防御拠点とも云える曲輪で、曲輪の西側斜面には、竪堀と堀切ともとれる横堀を配し、横堀には3条の足の短い畝状竪堀をドッキングさせた飛騨の山城における特徴が観られる。
横堀に付随して西曲輪には、高さ50〜60cmの低土塁を配し、西方からの攻撃に備えている。西曲輪から主曲輪までの間には尾根の斜度を吸収するような形で段差を設けた三つの曲輪が続く。
主曲輪の切岸
主曲輪切岸

 主曲輪は城域のほぼ中央部にあり、周囲は高さ3mほどの切岸を造り出し、南と北側には帯曲輪と武者走りを設けている。主曲輪虎口は南西隅に設けられ、土塁はないが、土橋状のスロープを登って主曲輪内に入る。主曲輪は30m×20mほどの広さで、土塁などの防御施設はない。
 東曲輪には南〜東〜北に1mほどの低土塁を巡らせ、南と北には袖曲輪と武者走りを伴っている。特に南側斜面には至る所に小曲輪を配し、小曲輪が造り出す切岸高さは1〜1.5mほどもあり、斜面を自由に歩き廻ることができず、極めて有効な防御施設となっている。
 東側尾根には横堀状の堀切を超えて、曲輪らしき地形が続くが、削平は甘い。この曲輪東にも更に堀切を入れ、3つの尾根筋の曲輪の中では、最も防御が充実している。
 南曲輪は南北に長い曲輪で、土塁なども無く平坦な地形であるが、東側斜面には、東曲輪と同様、無数の小曲輪を配し、東曲輪と共に主曲輪東側の谷筋防御の役割を担わせている。麓の八日町から梨打城へ登るルートがあるというが、おそらくこの南曲輪に通じているように思われる。

【城郭の歴史】
 江戸時代に書かれた「飛州志」には高原郷諏訪城・城主江馬常陸介輝盛の持ち城とされており、北飛騨の江馬氏が南方を固めるために造った出城ではないかとされている。
 天正10年6月、織田信長が京都本能寺で非業の死を遂げるや、北飛騨の江馬輝盛と南飛騨の三木自綱(よりつな)が、長年の対立を一挙に解決しようと梨打城下八日町で荒城川を挟んで戦った。
 江馬輝盛は三木方の銃弾に当たって負傷し、17歳の牛丸又太郎に首を取られ、梨打城と本城の諏訪城は小島時光に落とされた江馬氏は滅亡した。

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