長松城
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【城郭の概要】
所在地:大垣市長松町
別 名 : −
築 城 : −
初城主:竹中源助
区 分 :平城
遺 構 : −
城 域 : -



長松城石碑
荒崎小学校に建てられた石碑

【現地への案内】
国道21号線長松町西の信号を南入る、約300m荒磯小学校
詳細位置はコチラ 

【駐車場道脇に駐車
【訪 城】2003年9月
【撮 影】2003年9月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★☆☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 長松城は現在の荒崎小学校、および荒崎幼稚園が建つ辺りで、その城域は太谷川が北から東にかけて流れている辺りまでとされる。荒崎小学校から太谷川の堤防まで歩いてみるが思いの外、城域は広い。
現在では国道21号線が北側を走るが、当時の中仙道は荒崎小学校の南側を走っていたと云い、東側を大手、北側を搦手としていた。
 荒崎小学校の北側裏門には城門跡と思わしき石垣造があるが、これが見事にバッタモンでした。(^^)

【城郭の歴史】

 永禄元年(1558)竹中重光が揖斐郡大御堂より岩手に移る。この際、竹中源助は之に従い来て三千石を領し此所に城を築いた。是が長松城である。
戦国時代、竹中源助は豊臣秀吉に仕え各地に転戦し、太閤秀吉も長松城に来ている。
 竹中源助は幾多の戦功を立て豊後国(大分県)高田城一万石に移る。その後、秀吉の家臣武光式部が五千石を封じて入城する。
 慶長5年(1600)関ヶ原戦役の際、武光式部は西軍石田三成に属し、此所長松城で東軍を迎え撃つ。武運つたなく8月28日桑名方面に退去するに至った。東軍一柳監物が入城して守るが、戦後廃城となる。以後、西美濃の要地として使われ、末には飯沼慈斎が学問の地として住んだ。
荒崎小学校PTA

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