北方城
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【城郭の概要】
所在地:揖斐郡揖斐川町北方城山
別 名 : −
築 城 :建武・延元頃
初城主:吉田休三入道
区 分 :山城
遺 構 :曲輪
城 域 :80m×80m
     標高 210m
     比高 130m

町指定史跡



主曲輪東側の帯曲輪

【現地への案内】
国道303号線北方平
詳細位置はコチラ 

【駐車場主曲輪下に2〜3台
【訪 城】2003年9月
【撮 影】2003年9月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 東に揖斐川が流れる比高130mの独立した小山の山頂付近に築かれ、東〜西にかけては極めて眺望の良い要害地形に築かれている。現在は城山公園として山頂付近まで車で登ることができる。
山頂の楕円形の主曲輪(40m×30m)を中心として、周囲に帯曲輪を幾つか配した単純な造りの城で、曲輪が削平されている以外、遺構はない。公園整備と共に消失したのか。



【城郭の歴史】
  建武延元の頃、吉田休三入道がここに城を築きしと伝う。建武3年後醍醐天皇再び叡山に御幸せられ叡山を以て南朝の策源地とせられた。越前金崎城が陥ると新田氏の一族堀口美濃守貞満は梶尾谷に退き根尾城主根尾入道貞氏、土岐の豪族山本貞元、北方城主吉田休三、長峯城主山岸新左衛門光頼等に相呼応して北朝に抗し、美濃の土岐氏と戦ったことは谷汲の戦下、長瀬の戦、揖斐野合戦、池戸、下狩宇、上狩宇の合戦などにみえている。
思うに当地方が南朝に組みしたのは横蔵、谷汲の両寺が中心となって大台の信仰により叡山と策動したものと考えられる。
現地案内板より

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