加治田城
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【城郭の概要】
所在地:加茂郡富加町加治田
別 名 : −
築 城 : −
初城主:佐藤紀伊守忠能
区 分 :山城
遺 構 :土塁,竪堀
城 域 : −


主曲輪
加治田城の主曲輪

【現地への案内】
県道97号線、富加町の清水寺
詳細位置はコチラ 
【駐車場林道終点に駐車 3〜4台駐車可
【訪 城】2004年4月
【撮 影】2004年4月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 清水寺の前の道を登ると、途中から未舗装の林道になる。荒れているのは僅かの距離であるが、車高の低い車は避けた方が無難である。
 林道の終点から約15分で山頂の主曲輪に出る。この間案内板と共に道も整備されており、非常に分かりやすい。ただ、この道は搦手道で、大手道は清水寺辺りから出ているようである。
 主曲輪は東西15m、南北25mほどの楕円形で、主曲輪の南側に帯曲輪、東斜面に二の曲輪、二の曲輪の前面には竪堀を配置、竪堀で通路を絞り込んでいる点は極めて技巧的である、ここに土塁のひとつでもあれば、2折れの虎口になる。
三の曲輪の南側は緩斜面であるが、しっかりと竪堀を設けている。西側斜面には階段状の曲輪が続く、その他にも、周囲の斜面を歩くと、至るところに曲輪が設けられ、城域は尾根に沿って200m近くにも及ぶ規模である。

【城郭の歴史】
 現在古城山加治田城跡(海抜270m)と呼ばれるこの山城は、戦国時代は却敵城とも呼ばれていました。
桶狭間の戦いで今川義元を破った織田信長にとって斉藤龍興が支配する美濃を攻略することは上洛に向けての重要な戦略でした。
 永禄7年(1564)信長は清州を発ち美濃に近い小牧山に本拠地を移しました。信長の侵攻に備え、斉藤方である関城主長井隼人正道利を盟主として、堂洞城主の岸勘解由信周、加治田城主の佐藤紀伊守忠能は信長の盟約を結んでいました。
 美濃攻略に向けて犬山城を攻略した信長は、永禄8年(1565)8月木曽川を渡り、鵜沼城(大沢基康)、坂祝町にある猿啄城(多治見修理)を次々に攻め落とし、岸氏が守る堂洞城へと進軍。
 信長方への投降を断った堂洞城の岸氏に対し、旧暦の8月28日午の刻(正午)に、信長方に寝返った加治田城主佐藤紀伊守は丹羽長秀等と共に攻撃を開始し、酉の刻(午後6時)に堂洞城は落城。
 その後、信長の命により斉藤信五が佐藤紀伊守の養子となり加治田城主を継ぐも、天正10年金山城(兼山)城主森長可の領地支配の元、加治田城は廃城となった。
富加町教育委員会

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