美濃 飯羽間城
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 城郭の概要
所在地:恵那市岩村町飯羽間上切
別 名 :飯狭城
築 城 : −
初城主: −
区 分 :平山城
遺 構 :曲輪,堀切?
城域 :150m×50m
   標高 530m
     比高 20m
 現地への案内

詳細位置はコチラ 

 駐車場
空地を利用

【訪 城】
2008年5月
【撮 影】2008年5月

評価項目 見所評価
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



飯羽間城の主曲輪
飯羽間城の主曲輪

 現地の状況
 飯羽間城は岩村城の北西約3kmに位置し、西から延びる舌状尾根の先端、比高30mほどの小山に築かれた平山城である。

 県道406号線に面して飯羽間城址の大きな看板が上げられている付近から三の丸へ登る道があるが、崩壊寸前のため200mほど西の谷筋から登る旨の案内板が建てられている。

 堀切状の谷筋から5分足らずで最高所の主曲輪で着く。
現地の案内板には主曲輪から東尾根に二の曲輪、三の曲輪と連ね、主曲輪背後には階段状の小曲輪、自然谷を利用した堀切を介して“捨て曲輪”状の曲輪を配した縄張りが紹介されていたが、単純な縄張りの小城に“捨て曲輪”がつくられていたのかどうか少々疑問で、自然地形の可能性もある。


飯羽間城の縄張り図
飯羽間城の縄張り図

 城郭の歴史
 飯羽間城は遠山七頭のひとり飯羽間遠山右衛門佐(遠山友信)が築いたとされ、飯羽間遠山氏は岩村遠山氏の支流で、飯羽間城は遠山十八子城の一つとされる。

 元亀元年(1570)武田信玄の家臣秋山伯耆守晴近が上村(岐阜県上矢作町)に侵入したが、岩村城主遠山景任を中心とした遠山一族に三河の奥平氏、菅沼氏を加えた連合軍は、秋山春近を破った。この戦いを上村合戦というが、一説には元亀3年(1573)であったともいわれている。

 天正2年(1574)飯羽間城は武田勝頼に攻められ落城した。

飯羽間城の二の曲輪
飯羽間城の二の曲輪



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