本郷城
HOME 岐阜県の城郭
【城郭の概要】
所在地:揖斐郡池田町本郷
別 名 : −
築 城 :南北朝期
初城主:土岐頼忠
区 分 :平城
遺 構 :二の丸
城 域 : −
     標高 37m
町指定史跡


二の丸と城址碑
本郷城二の丸と城址碑

【現地への案内】
国道417号線本郷の信号を西入る300m
詳細はコチラ 

【駐車場専用駐車場に3〜4台可
【訪 城】2003年7月
【撮 影】2003年7月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★☆☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 本郷城は住宅地に中に小高い丘の一部が残っており、これが二の丸隅にあたるという。周囲の地形から櫓台のようである。
西側田圃は堀跡のようにも見える。

【城郭の歴史】
 当地方は平安時代、承和年間(834〜847)すでに開け、城郭が築かれ池田宮内少輔維実(従四位下)が在城していたという。
その後、時代は下り(南朝元中4年,北朝嘉慶元年 1384)土岐康行の小島城が落城し、足利幕府より美濃守護職に任命された土岐頼忠,頼益父子が本郷城に入ったが、後岐阜革手城に移ったので当地の南、太郎ヶ城に居た国枝大和守為助がこの城を修築し、その子正助から宗竜−重光−重元と凡そ200余年本城に住んだが、修理亮政森のとき、慶長5年(16000関ヶ原の戦いがいき、政森が織田信秀に仕え。西軍についたので東軍徳川勢により当城は城下と竜徳寺等と共に焼き払われたまま再建されなかった。
 当時、本丸は20間四方の二重の堀と土塁に囲まれ、平地より3mほどの高い基礎の上に築かれた輪郭式平城で、その中央に櫓台(見張り台)があったといわれ、明治末期から大正初期にかけて堀は埋められ耕地にされた。
現在残っている城址は二の丸隅にあたると云われている。
HOME 岐阜県の城郭