顔戸(ごうど)城
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【城郭の概要】
所在地:可児郡御嵩町顔戸字構
別 名 : −
築 城 :応仁〜文明年間(1467〜77)
初城主:斉藤妙椿
区 分 :平城
遺 構 :土塁,横堀
城 域 :150m×167m

空堀
周囲に巡らされた空堀

【現地への案内】
 国道21号線顔戸の信号を北入る50m
詳細位置はコチラ 

【駐車場路上駐車
【訪 城】2003年4月
【撮 影】2003年4月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 顔戸城は東〜北〜西に空堀と土塁を巡らした、東西150m,南北170mの方形の城で、周囲に巡らした空堀は堀底で最大4〜5m、堀底からの最大高さは高さ10mにも達する、見事な遺構が残されている。
縄張り図

城域内は民家、あるいは畑地となっており、東〜北側の堀は竹林となって相当荒れているが、スケールの大きな堀を十分に確認できる。
 国道21号線から入った所の土塁の前には顔戸城の石碑(御影石)が建てられているが、これは1999年に、同地区の山田氏が発起人となって町観光協会などと協力して建立されたものだという。

【城郭の歴史】
 応仁の乱(1467〜77)の頃、中央政権をも揺るがすと云われた武将が、ここの顔戸の地で活躍していました。その武将が歴史に今も名を残す斉藤妙椿その人です。
妙椿は、ここの顔戸の地に東・北・西の三方に戦いに備えるための豪壮な空堀と土塁を設け、南は可児川の自然の流れを防御施設に利用した平城「顔戸城」を築城し、東美濃の守りの拠点としました。
 城の規模は東西およそ150m、南北およそ167mの規模を有し、空堀と高く盛られた土塁に囲まれた内側に館を構えた平坦面があり、豪壮な中世平城の姿を今に伝え「構」と呼ばれ、東美濃でも有数の平城としてその名を馳せています。
 妙椿はもとは八百津の浄土宗善恵寺で僧侶としての修行をしていましたが、長禄4年(1460)守護代を努めていた兄利永が世を去ったため仏道を捨て、政界に乗り出し頭角を現した人です。
御嵩町・御嵩観光協会

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