土田(どた)城
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【城郭の概要】
所在地:可児市土田
別 名 : −
築 城 :明応(1492)〜文亀(1501)
初城主:生駒氏
区 分 :山城
遺 構 :堀切
城 域 : −
第3峯から第4峯を望む

【現地への案内】
l国道41号線大脇の信号を南へ200m
詳細位置はコチラ 

【駐車場大脇公民館前に10台ほど
【訪 城】2003年4月
【撮 影】2003年4月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 土田城は可児市の北西、木曽川へと流れ込む可児川が山裾を洗う急峻な山の山頂一帯に築かれている。

城域の山は小さな四つの峯からなり、本丸は最北の第1峯の山頂に位置している。
 土田城への登り口は以下の三つのルートがある。
   (1)大脇公民館くから本丸南に至る
   (2)可児川沿いの旧東山道の南500m地点から南端第4峯の出丸に至る
   (3)国道41号線の菅刈地区から出丸に至る
 今回は旧東山道から出丸を経て本丸に至るルートを選択。大脇公民館から旧中山道を可児川沿いに歩くと、道の脇に石積み見られる。
石積みは至る所にあるが、石積みを築く目的が定かではなく、旧東山道を確保するための土留めではないかと思われる。
 出丸への標識に従って登り始めるが、急斜面を直登するため結構きつい。5分ほどで鞍部に出る。更に5分ほどで出丸に着く。山頂は30m×20mほどであろうか、土塁等の防御施設もない上、削平もされておらず、自然地形のままである。
尾根上ピークを二つ越え約15分ほども歩くと、堀切を経て本丸に着く。ここも削平はされておらず、ほぼ自然地形と云って良い。
 本丸の周囲は切り立った崖状斜面の要害地形で、山頂の広さは違うが岐阜城の金華山とよく似た地形をなしている。比高は150mほどであるが、眺望はすこぶる良い。
 下山は本丸下から公民館へ降りるつもりであったが、道が分からず、やむなく元来た道を戻った。
 城域といわれる四つの峯を歩いてみて、急峻な地形および猫の額ほどの狭い山頂等から、日常は麓の居館で、土田城は有事の際の詰め城としていたのではないかという思いを強くした。

【城郭の歴史】
 
城の築城起源は明応(1492)〜文亀(1501)の間と推定される。(今より約490年前)城址は本丸、大手門、出丸、大曲輪で構成され、中世時代の山城の様相を窺い知ることが出来る。城址から見る展望は素晴らしく、城は小規模で土田の一土豪に過ぎない身分から戦国舞台に登場し、一躍17万石に昇進した生駒氏の出世城である。
 鎌倉時代の功臣、近江の佐々木義詮の末裔、山内秀久が土田に移り大炊戸渡しの利権を握り近隣に戦力を伸ばし、土地名の土田氏を名乗る。かねて親交のあった丹羽郡小祈の土豪、生駒家広の娘を妻とした。長子泰久出家後、家広と秀久は不仲となり妻を離別、家広宅で出生したのが次子政久(後の土田城主)。成人した政久は主君(岩倉城主織田伊勢守信安)に仕え信安の密命を受け土田に帰り岩山に築城し以来生駒氏を名乗る。
 この地は尾張道木曽路の入口の位置にある重要な要衝の地で伊勢守が尾張を守る防衛線の出鼻城であり、これを守る義務が土田生駒氏の土田城である。

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