敦賀城
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 城郭の概要
所在地:敦賀市結城町
別 名 : −
築 城 :天正11年(1582)
初城主:蜂屋出羽守頼隆
区 分 :平城
遺 構 :移築門

 現地への案内
交通機関は車を利用

 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 駐車場は無し

【訪 城】2007年5月
【撮 影】2007年5月

評価項目 見所評価
選地
縄張り ☆☆
普請 ☆☆
体力消耗度 ☆☆
お勧め度
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

敦賀城城址碑
真願寺前の城址碑

 現地の状況
 敦賀城は笙川の西岸に築かれたとされるが、敦賀城跡を示す石碑は笙川東岸の真願寺と敦賀西小学校の校門横に建てられている。
 築城当時から笙川の流れが変わったのか、それとも石碑の位置が適当に建てられているのかは不明。

 敦賀城の遺構は、唯一市内の来迎寺の山門に城門が移築されて残るのみである。
来迎寺山門
来迎寺に移築された敦賀城裏門

 城郭の歴史
 天正3年(1575)越前を平定した織田信長は武藤宗右衛門を敦賀郡代に任じた。武藤宗右衛門は元亀元年(1570)4月、織田信長が越前手筒山城金ヶ崎城を攻めた時に陣所とした花城山城に入った。

 天正10年(1582)本能寺の変の後、武藤氏に代わって敦賀5万石の領主となった蜂屋出羽守頼隆は、花城山城をすて、笙川(しょうのがわ)の西岸に敦賀城を築城する。

 天正17年、頼隆は九州遠征中に病死し、替わって大谷吉継が5万7千石で敦賀城主となる。
 関ヶ原の戦い後、徳川家康は田中清六を代官としておいた。慶長年間(1596〜1615)に火災により一部を焼失し、東堀が埋められた。元和元年(1615)の一国一城令により廃城となった。

 慶長10年頃につくられた越前一国の絵図(松平文庫)には、三重の天守をもった敦賀城が描かれており、大谷吉継の時には三重の天守をもつ城が完成していたものと考えられている。





近隣の史跡
来迎寺
 敦賀城の遺構として唯一残されている城門
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