東郷槇山城
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 城郭の概要
所在地:福井市小安町
別 名 : −
築 城 :応永年間(1394〜1428)
初城主:朝倉正景
区 分 :山城
遺 構 :空堀,土塁
城 域 :360m×475m
     標高 120m
     比高 100m
市指定史跡


 現地への案内
交通機関は車を利用
 
 詳細位置はコチラmapfan
 駐車場
 二の丸駐車場に駐車、約10台駐車可
【訪 城】2007年4月
【撮 影】2007年4月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り ★★
普請
体力消耗度
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


千畳敷南側の堀切

 現地の状況
 東郷槇山城は一乗谷城の北西約3km、足羽川の左岸にあって三峰城,成願寺城,中山城と共に、一乗谷城の支城の一つである。
一乗谷の西峰の御茸山とは尾根続きで、下城戸のちょうど真西に位置しており一乗谷の出城的な役割を担っていたと考えられる。

 東郷槇山城は通称城山と称する槇山に築城されており、槇山の西側から車で二の丸まで登ることができる。
 城台と称される主曲輪と南に位置する二の丸、および千畳敷は公園として整備され手軽に中世山城を見学することができるが、公園整備が優先され、山城としての魅力は半減してしまっている。
 唯一、千畳敷に残る土塁と南側の堀切がかろうじて原型を止めているのが救いである。

東郷槇山城の縄張り図

 城郭の歴史
 15世紀の前半頃、朝倉氏三代・氏景の三男正景が一条家の荘園東郷荘を預けられて、庄官となり東郷下総守と称した。そのころに東郷槇山城も築城されたと考えられている。

 朝倉本宗家が一乗谷に本拠を移してからは、その支城的な役割を担うようになったと考えられる。
 朝倉氏滅亡後、柴田勝家が北庄城を築いて越前を支配したが、天正11年(1583)に秀吉に滅ぼされて丹羽長秀が東郷槇山城主となった。
長秀死後、長重の代に削封され、翌12年に長谷川秀一が城主となり15万石を領した。長谷川氏は文禄の役に朝鮮に出陣し文禄3年(1594)に朝鮮で陣没した。

 秀一没後は家名は絶え、東郷は丹羽氏の所領となり、槇山城主・丹羽長昌は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは大谷吉継に与して西軍に属したため所領を没収され、槇山城は廃城となった。




観 光
明智神社

 明智光秀が朝倉氏に仕官していた時に所領を与えられていたというのが、一乗谷より朝倉街道で峠を越えた大味村土井の内(現在の福井市東大味)である。光秀はここに屋敷を構えていたとされ、ここで玉子(後に細川忠興に嫁ぎ、細川ガラシャと呼ばれた)が生まれている。
 屋敷跡には明智光秀を祀った明智神社が建てられている。

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