手筒山城(別名天筒城)
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 城郭の概要
所在地:敦賀市泉・手筒
別 名 :天筒城
築 城 : −
初城主: −
区 分 :山城
遺 構 :堀切,堅堀
城 域 : −
      標高 174m
      比高 160m


 現地への案内
交通機関は車を利用
 
 詳細位置はコチラmapfan
 駐車場
 専用駐車場を利用
【訪 城】2001年,2006年8月,2007年6月
【撮 影】2007年6月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り ★★
普請 ★★
体力消耗度 ★★★
お勧め度
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

堀切
城中最大の堀切

 現地の状況
 手筒山城は金ヶ崎城の南西に延びる尾根上にあり、その距離約1km。手筒山城と金ヶ崎城の境界は明かではないが、南北朝期の戦いの際、一の城戸,二の城戸、および三の城戸で激戦が行われており、一応は一の城戸より西側を金ヶ崎城、東側を手筒山城とするのが妥当だろう。

 一の城戸から尾根筋を登り、ピークを越えたところに城内最大の堀切状の堅堀がある。現在は遊歩道が尾根の一部を削って造られているため、堀切か堅堀かは判別しがたい。

 この堅堀から更にピークを2つ越えると、お椀を伏せたようななだらかな手筒山山頂に至る、この間約20分。手筒山の山頂が主曲輪で、ほぼ中央部には高さ15mほどの観光用展望台が設置されている。
 主曲輪から東に延びる尾根上には連郭式に曲輪を配置し、城域は広範囲であるが、城郭遺構はあまり明確ではない。 

手筒山
尾根の両側は天然の要害地形を形成


 城郭の歴史
 永禄11年(1569)越前の守護朝倉義景は織田信長の北陸進出に備え、寺田采女丞を守将とし、疋田右近,津波甚四郎,九岐佐助を物頭として配した。

 元亀元年(1570)4月若狭国吉城に逗留していた織田信長は、突然越前に侵攻し、疋壇城を落とすと、妙顕寺を本陣として手筒山城と金ヶ崎城の攻略に着手。
 手筒山城の背後から攻撃し、手筒山城を攻略。ついで金ヶ崎城を落とさんとした時に、妹婿の小谷城主浅井長政の離反により、かろうじて京へ逃げ帰った。後に「金ヶ崎の退き口」と云われる戦いである。

 信長公記には、「越前手筒山攻め落とせらるゝの事」として記載されている。





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