高浜城
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 城郭の概要
所在地:大飯郡高浜町事代
別 名 : −
築 城 :永禄8年(1565)
初城主:逸見駿河守昌経
区 分 :平山城
遺 構 :石積み,土塁,櫓台
城 域 :400m×400m
     比高 約50m


 現地への案内
交通機関は車を利用

 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
公園駐車場を利用
【訪 城】2001年,2007年5月
【撮 影】2001年,2007年5月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り
普請
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

主曲輪の土止めの石積み
主曲輪の石積み

 現地の状況

 高浜城は高浜湾に着き出した小半島の先端に築かれ、高浜八穴の中でも一番大きな海食洞である明鏡洞を挟んだ二つの小山を含めた一帯と考えられている。

 城郭の中心部は西側の国民宿舎城山荘の背後の小山で、5分ほどで山頂の濱見神社に着く。
 社の祀られている高台が物見櫓台であろうか、櫓台の西側に石積みが観られる。曲輪は櫓台の東側平坦地にひろがっている。

 高浜城から見る高浜湾の眺望は素晴らしく、観光も楽しめる珍しいお城である。
なお、城山公園の一画、城山荘前に太鼓櫓跡の土塁が残っている。


高浜城の鳥瞰図


明鏡洞
明鏡洞

 城郭の歴史
 逸見昌経は佐伎治神社の裏山に砕導山城を構えていました。昌経は永禄4年(1561)若狭国守護武田氏の内紛に乗じ叛乱を起こしましたが、同年6月越前朝倉氏・武田氏連合軍との戦いに敗れ、砕導山城は落城します。

 巻き返しを図る昌経は永禄8年(1565)高浜湾に突き出た小半島に高浜城を築城します。
 高浜城は当時若狭国内の城郭がすべて山城であるのに平山城であったことが注目されます。また、逸見氏は伝統的に水軍を軍事力の要としており、大飯町城や舞鶴市城に海賊が確認されていますが、高浜城も三方を海に囲まれ海賊として機能していたものと思われます。

 高浜城は天正9年(1581)に逸見氏が没落した後も代々城主が代わり、寛永11年(1634)の初代小浜藩主酒井忠勝が小浜城に入部するまで存続していたと伝えられています。

現地案内板より




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お勧め度







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