杣山城
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 城郭の概要
所在地:南条郡南越前町阿久和
別 名 : −
築 城 :14世紀
初城主:瓜生衡
区 分 :山城
遺 構 :空掘,土塁,堀切,
城 域 :4,000m×2,000m
     標高 492m
     比高 250m
国指定史跡


 現地への案内
交通機関は車を利用

 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 林道終点の空地を利用、3〜4台駐車可

【訪 城】2001年,2007年5月
【撮 影】2007年5月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り ★★
普請 ★★
体力消耗度 ★★★
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


本丸西側の堀と土橋

 現地の状況
  杣山城は杣山(標高492m)の山頂に本丸を置き、南尾根に西御殿、北尾根に東御殿といった中核の曲輪を配し、高く険しい山全体を城郭と見立てた中世山城で、南北朝期には南朝方の越前における拠点となった城である。
 山の中腹まで林道を利用して車で上れるが、駐車場(標高約250m)からでも本丸に至るまでは細い南尾根を約30分登ることになる。

 山頂の本丸はほとんど削平されておらず自然地形に近い。一方では西御殿や本丸から延びる北尾根上の曲輪は非常に綺麗に削平されているのが印象的だった。
おそらくは南北朝期から天正年間にかけての戦いで、敵対する勢力が北方から南方に変わるなど杣山城の戦略的な位置づけが変わっていることに起因すると考えられる。

 また、本丸南尾根の堀と土橋は木ノ芽峠における鉢伏山城西光寺丸城等の虎口部と類似しており、元亀〜天正年間にかけて織田軍、若しくは一向一揆勢による改修と考えられる。

 なお、杣山の麓には一の城戸、二の城戸が設けられており、二の城戸では水堀と土塁、一の城戸付近には居館跡と共に土塁が残っている。

杣山山頂の本丸
 パソコンのトラブルで杣山城の写真がなくなり、2度目の訪城となりましたが、あいにくの天気で山頂付近はガスってました。(^^:


二の城戸の土塁と堀、背後が杣山

 城郭の歴史
 建武3年(延元元年 1336)京都での戦いに敗れた新田義貞は恒良親王,尊良親王を奉じて10月に金ヶ崎城に陣を構えた。
 瓜生保は金ヶ崎城の南朝方を支援して、杣山城に拠って挙兵したが、翌年金ヶ崎城は落城。落城寸前に金ヶ崎城を出た義貞は脇屋義助と共に杣山城に入り、以後、杣山城は北朝方の府中城に対する南朝方の拠点となる。

 延元3年(1338)義貞は三峯城に籠もった平泉寺宗徒と共に杣山城を出て足利高経と戦ったが、灯明寺畷で討死し、暦応4年(1341)越前の南朝方は敗北する。

 文明6年(1474)斯波氏の家老増沢甲斐守祐徳が杣山城に拠って朝倉敏景と戦うが敗れた。朝倉氏は杣山城に河内安芸守宗清を入れたが、河内安芸守宗清は天正元年(1574)織田信長に攻められた小谷城の支援に北近江に出陣し、刀根坂の戦いで敗れ杣山城は廃城となる。翌2年には越前一向一揆が杣山城に拠ったとされるが、詳細は不明。


杣山城の全体図
 



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