大野城
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 城郭の概要
所在地:大野市城町
別 名 : −
築 城 :天正4年(1576)
初城主:金森長近
区 分 :平山城
遺 構 :天守閣,石垣,門,堀
城 域 : −
     比高 40〜50m

 現地への案内
交通機関は車を利用
 大野市市内
 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 郷土歴史館前の無料駐車場を利用
約50台駐車可

【訪 城】2004年8月
【撮 影】2004年8月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り ★★
普請 ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

大野城天守閣
大野城天守閣

 現地の状況
 西を流れる赤根川を外堀に見立てた、比高40〜50mほどの小山に築かれている。天守閣は昭和43年に復原されたものですが、残念ながら内部はコンクリート造り。石垣は荒々しい野面積みで、見応えがあります。

 当時の大野城の城門が市内の光明寺と真乗寺の山門として移築されています。なお、大野市は朝倉義景の最後の地で、市内には朝倉義景の墓があります。

大野城鳥瞰図
寛延2年(1749)当時の大野城鳥瞰図


 城郭の歴史
 朝倉氏を滅ぼした織田信長は、天正2年(1574)越前に桂田長俊を守護代に任じていたが、天正3年1月越前・加賀門徒を中心とする一向一揆勢は、桂田長俊を殺害し越前を支配。
 同年6月、長篠で武田軍との戦いに勝利した信長は、8月越前に攻め込み、一揆勢を掃討。この時、下間頼照や朝倉景健らをはじめ、1万2000人を数える越前・加賀門徒が織田軍によって討伐されたといわれている。
 越前を再び支配した信長は、越前8郡を柴田勝家に、また大野郡の約3分の2を金森長近に、残り3分の1を原政茂に与えた。
大野郡を与えられた金森長近が、天正4年(1576)から標高249mの亀山に築城したのが大野城である。
 天正14年(1586)金森長近は飛騨高山に転封となり高山城を築城。その後、大野城城主は次々と変わり、松平氏が5代、土井氏が8代続き明治維新を迎えた。現在の天守閣は古い絵図面を元に昭和43年(1682)に復原されたもの。
搦手門
南登り口の搦手門

天守台石垣
天守台石垣

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近江の城郭









観 光
光明寺山門(移築門)
大野城二の丸門
 大野城二の丸の正門であった鳩門を明治36年(1903)に移築したものとされる。
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真乗寺山門(移築門)
大野城の不明門
 大野城本丸へ通じる南麓の山裾にあった不明門を移築したものとされる。
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朝倉義景墓所
朝倉義景の墓
 織田信長との戦いに敗れ、大野に落ちのびてきたところ、朝倉景鏡の謀反にあい、宿舎の六坊賢松寺で自害しています。
 当時の六坊賢松寺の位置は明らかではなく、寛政12年(1800)に曹源寺境内に建立されたものが文政5年(1822)に移転し、現在は義景公園の一角ににある。

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