小黒丸城
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 城郭の概要
所在地:福井市小黒丸町
別 名 :那黒丸城
築 城 :建武4年(延元2年、1337年)
初城主:足利尾張守高経か
区 分 :平城
遺 構 : −
城 域 : −


 現地への案内
交通機関は車を利用

 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
駐車場無し

【訪 城】2007年5月
【撮 影】2007年5月

評価項目 見所評価
選地
縄張り
普請
体力消耗度
お勧め度 ☆☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


小黒丸城の城址碑

 現地の状況
 小黒丸城は日野川と九頭竜川の合流点付近に位置し、三方を川で囲まれた地形を利用して築城され、唯一開いた南東側は深田であったという。

 現在小黒丸城の石碑の建てられている場所は、河川工事もすすみ、地形的にはなんの変哲もない平地に変わり、遺構はおろか当時を偲ぶ地形すら残っていない。

 なお、現地の案内板によれば、城址碑は現在地より北方約50mの田んぼの中に建てられていたが、県営圃場整備に伴い現在の位置に移されたとある。

 城郭の歴史
 小黒丸城は、大黒丸城と併せて黒丸城と総称される場合と、勝虎城、藤島城、波羅蜜城、安居城、江守城、北庄城と共に大黒丸城の支城である足羽7城のひとつであるとする説がある。
南北朝期の建武5年(延元3年、1338)杣山城を本拠とする新田義貞に対し、府中城に立て籠もる足利高経(斯波高経)は10ヶ所の砦を築き対抗するが、府中城の落城により黒丸城に逃れた。

 同年5月、新田義貞は足羽の城攻めを開始し、波羅蜜城、安居城、江守城、河合城、春近城を攻めるが、勝利を得るまでには至らなかった。
 同年7月、河合城に本拠を据えた新田義貞は九頭竜川を渡り、灯明寺畷で足羽7城攻めに軍を振り分け、自らは平泉寺宗徒の立て籠もる藤島城を攻めるが、偵察に出たところで小黒丸城からの援軍に遭遇し討ち死にする。

 翌建武6年(延元4年)7月、綸旨を得た脇屋義助によって攻められた黒丸城は落城し、斯波高経は加賀に落ちのびた。




観 光
称念寺
坂井市丸岡町長崎19-17
称念寺
 境内には、1338年(延元3)に燈明寺畷(とうみょうじなわて)で戦死した新田義貞の五輪塔がある。
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新田義貞戦没伝説地(燈明寺畷)
新田義貞戦没伝説地(燈明寺畷)

 新田義貞が暦応元年(1338)に、斯波高経の軍勢に出会い、無念にも敗れ戦死したと伝えられる場所。江戸時代に義貞のものと思われる冑が水田から発見され、当時の藩主・松平光通が義貞を称え石碑を建立した。国指定史跡となっている。
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藤島神社
福井市毛矢3丁目8-21
 新田義貞とその一族が祀られており、新田義貞が着用していたといわれる冑・鉄製銀像嵌冑が所蔵されている。
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