後瀬山城
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 城郭の概要
所在地:小浜市伏原
別 名 :武田氏城
築 城 :大永2年(1522)
初城主:武田大膳太夫元光
区 分 :山城
遺 構 :石垣,土塁,空堀
城 域 :500m×350m
     標高 186m
     比高 約180m


 現地への案内
交通機関は車を利用
 国道27号線、後瀬山トンネルの東側入口直前を北に入る

 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 愛宕神社前の空地を利用
【訪 城】2001年,2007年5月
【撮 影】2001年,2007年5月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り ★★
普請 ★★
体力消耗度 ★★★
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

主曲輪の城址碑と石垣
主曲輪の城址碑と石垣

 現地の状況
 愛宕神社の鳥居を潜って後瀬山の東側尾根を登ること約50分、愛宕神社を祀った山頂の主曲輪に着く。
 主曲輪の平虎口の両側に石積みが観られる。また、主曲輪の西側と北側に高さ1mほどの石積みが巡らされている。

 空印寺(武田氏居館跡)に通じる北尾根と東尾根に大小併せて139ヶ所の曲輪と呼ばれる平場の防御施設を設けているという。また、この二つの尾根の曲輪を繋ぐ道が北東尾根に幾本も観られ「谷の横道」と呼ばれている。

 北側尾根の先端には堅堀を配置している。この堅堀は武田氏が丹後国守護一色氏と度々戦火を交えた時に防御を固めたものであるとされているが、上述の「谷の横道」と共に、天正元年(1573)以降、慶長5年(1600)までの間に豊臣秀吉の家臣が後瀬山城に入っており、天正11年(1584)の賤ヶ岳の戦いの際に丹後街道(現国道27号線)を迂回して南下する柴田軍に備えて改修したことも考えられる。
 なお、現在の登山道は廃城後に主曲輪に創建された愛宕神社への山道を利用した遊歩道であり、主曲輪への階段、および虎口も後年のものか。
主曲輪土止めの石垣
主曲輪土止めの石垣


主曲輪への階段
主曲輪への階段

 城郭の歴史
 後瀬山城は大永2年(1522)戦国争乱の防備として若狭守護・武田大膳太夫元光が築城した中世の山城である。

 城郭は海抜168mの山頂に主曲輪を配置し、それより北側八幡神社まで400mの間に16段の小曲輪を階段状につくっている。
 主曲輪の西尾根にも小曲輪が18段あって、その山麓に武田氏館があった。現在の小浜小学校、空印寺がその跡地である。更に主曲輪の西側には幅広い空堀を隔てて西曲輪がある。ここは城の御殿と推定され築山など庭園らしい跡も残されている。

 城は戦国時代に造られたものと大差ないが、西側に4本の堅堀がつくられており、緩やかな斜面の守りを固めている。東側は急斜面のため部分的な堅堀をつくるが集中されていない。その代わりに元光は発心寺を造営したものと思われる。

 天正元年(1573)朝倉氏滅亡後、近江・佐和山城の丹羽長秀が国主となってこの城に入り、石垣を積むなどして補修した。現在の石垣はその時のものである。
 その後、浅野長吉,木下勝俊など羽柴秀吉の家臣が入り、若狭領主としてこの城を利用したが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの前哨戦で、近江・大津城を守備した京極高次が軍功を認められ国主となり小浜城を築城、後瀬山城は廃城となった。





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