長崎城
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 城郭の概要
所在地:坂井市丸岡町長崎
別 名 : −
築 城 :南北朝期
初城主: −
区 分 :平城
遺 構 :土塁
城 域 :110m×140m
県指定史跡


 現地への案内
交通機関は車を利用


 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
路上駐車

【訪 城】2007年5月
【撮 影】2007年5月

評価項目 見所評価
選地
縄張り
普請
体力消耗度
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


称念寺山門

 現地の状況
 長崎城は灯明寺畷で戦死した新田義貞の墓所のある称念寺を中心とした一帯とされている。

 現在、称念寺の周囲の道路が堀跡のようであるが、堀としての遺構は残されていない。西側(裏手)には土塁らしきものが残るが当時のものかどうか。



新田義貞公墓所

 城郭の歴史
 長崎城は足羽郡、坂井郡に対する戦略上の拠点に位置するため、南北朝期より度々攻防戦が行われている。
 「太平記」には「細屋右馬助ヲ大将トシテ其勢三千余騎、越前国へ打コへ長崎・河合・川口三箇所二城ヲ構テ漸々ニ府ヘゾ責寄ケル」とある。

 文明12年(1480)7月には、斯波義良、甲斐八郎が越前に侵入して、朝倉方の長崎城をはじめ金津城、兵庫城、新庄城などを攻め落としており、これに対して朝倉方も翌13年9月に「長崎之道場」に出陣して勝利を収めたとある(大乗院寺社雑事記)





観 光
新田義貞戦没伝説地(燈明寺畷)
新田義貞戦没伝説地
 新田義貞が暦応元年(1338)に、斯波高経の軍勢に出会い、無念にも敗れ戦死したと伝えられる場所。江戸時代に義貞のものと思われる冑が水田から発見され、当時の藩主・松平光通が義貞を称え石碑を建立した。国指定史跡となっている。

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藤島神社
福井市毛矢3丁目8-21
 新田義貞とその一族が祀られており、新田義貞が着用していたといわれる冑・鉄製銀像嵌冑が所蔵されている。
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