村岡山城
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 城郭の概要
所在地:勝山市村岡町寺尾
別 名 : −
築 城 : −
初城主: −
区 分 :山城
遺 構 :空掘,土塁,土橋
城 域 : −
     比高 約100m

 現地への案内
交通機関は車を利用
 国道157号線、長山町から県道261号線に入り、村岡神社
 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 村岡神社の空地を利用

【訪 城】2004年8月
【撮 影】2004年8月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り ★★★
普請 ★★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

虎口と土橋
主曲輪虎口と土橋

 現地の状況
 村岡小学校の北側の山で、小学校横からも登れるが、村岡神社からが大手となる。村岡神社から約20分ほどで山頂の主曲輪に出る。
 村岡山城は東西に延びる尾根上に築かれ、最高部に主曲輪をおく、連郭式の山城である。
 主曲輪の南と東側には空掘と土塁を配し、空掘は直線的な折れを入れることで、横矢掛けが意識されてはいるが、虎口は土橋を介した平虎口である。
 主曲輪を取り巻くように曲輪(郭1)、東側には空掘を介して副郭ともいえる二の曲輪(郭2)、および三の曲輪(郭3)を、また東側斜面には畝状の堅堀を配している。

 天正初期、安土城を築いた織田政権の特徴ともいえる屈曲した空掘と、朝倉氏等在地の築城術である畝状堅堀が混在している点は非常に興味深く、お勧めの城といえる。

鳥瞰図

 城郭の歴史
 天正2年(1574)平泉寺と対立していた七山家を中心とする一向一揆勢は、ここ村岡山に一夜で城を築きました。平泉寺はすぐに村岡城を攻めましたが、逆に攻撃を受け焼き討ちされてしまいます。
 一向一揆勢が立て籠もり勝利に繋がった村岡山は「勝山」と名付けられ、今の勝山の地名にも繋がっています。

 天正3年(1575)織田信長が越前の一揆を鎮圧し、勝山地区にはその家臣柴田義宣がやってきました。義宣は一揆の残党に敗れ討ち死にしますが、その養子勝安が一揆を滅ぼし、本拠地を袋田(今の市役所付近)に移して勝山城を築城し、町の原型をつくりました。

 村岡山は、九頭竜川流域や石川県と勝山を結ぶ街道筋を見渡すことができる地にあります。城跡の西側は一揆勢が立て籠もった城の痕跡を残しています。そして、主郭の櫓台や、主郭を取り巻く大規模な堀、土塁や堀を組み合わせた複雑な虎口は柴田氏が一揆勢の造った城に大きく手を加えたもので、一向一揆と織田政権との戦いを今に伝えるものであるといえます。
村岡町連合壮年会
空掘
主曲輪周囲に巡らされた空掘
 天正8年(1580)柴田勝安が袋田に勝山城を新たに築いた後、村岡山城は廃城となった。




観 光
白山平泉寺
勝山市平泉寺町平泉寺

 木曽義仲が藤島の七荘を同寺に寄進した。あるいは源義経が奥州平泉へ逃げる途中、一晩したといわれている。

越前大仏
勝山市片瀬町1丁目
TEL 0779-87-3300
大人 800円

 広大な境内には、日本一の高さ(75メートル)の五重の塔があり、各層には石仏や金仏の諸仏、最上階には阿弥陀如来・釈迦如来・薬師如来の三尊仏が安置されている。

勝山城博物館
勝山市平泉寺町平泉寺85-26-1
TEL 0779-88-6200
大人 500円

 天守閣を模した造りで5層6階からなり、展示室には鎌倉時代の刀剣から、江戸時代の全国諸大名家の甲冑や武具等が展示されている。



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