燧ヶ城(ひうちがじょう)
HOME福井県の城郭
 城郭の概要
所在地:南条郡南越前町今庄
別 名 : −
築 城 :寿永2年(1183)
初城主:木曾義仲
区 分 :山城
遺 構 :堅堀,土橋,石垣,横堀
城 域 :400m×100m
     標高 270m
     比高 約150m

 現地への案内
交通機関は車を利用
 
 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
新羅神社・観音堂前に無料駐車場あり
【訪 城】2007年10月
【撮 影】2007年10月

評価項目 見所評価
選地 ★★
縄張り ★★
普請 ★★
体力消耗度 ★★
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


越前一向一揆についての詳細はコチラを参照。


二の丸虎口の石積み
二の丸虎口の石積み

 現地の状況
 燧ヶ城は江越国境の栃ノ木峠から板取を経て今庄に至る北国街道(現国道365号線)と敦賀から今庄に至る北陸道が交わる交通の要衝にある上、東には日野川が流れる隘路にあって源平の時代より戦略的に重視されてきた。
今なお、国道365号線と敦賀からの県道207号線、およびJR北陸本線が幅1kmほどにも満たない谷間を走っていることからも、要衝の地であったことが窺える。

 燧ヶ城への登城道は、今も北国街道の宿場町としての雰囲気を残す町並みの中、新羅神社・観音堂の脇から延びており、15分ほどで二の丸に至る。
二の丸の虎口は石積みがみられ、南側(左手)直下には横堀を配して、虎口部の防御性を高めている。
 本丸には石積みの櫓台があり、本の丸から三の丸の間には堅堀,土橋が良く残っている。また、本丸からは眺望が開け、宿場町が一望できる。

 北方3kmには南北朝期に南朝方の拠点となった杣山城があり、標高492mの杣山には南北朝期の山城が状態良く残されている。この燧ヶ城と併せて廻ると良い。


 城郭の歴史
 寿永2年(1183)4月、平家は木曽義仲追討のため越後に向けて、平維盛の率いる十万の大軍を北陸路へ差し向けた。
 義仲軍の仁科太郎守弘、平泉寺長吏齋明威儀師らは燧ケ城に立て籠もると、日野川を堰き止めてあたり一帯を水浸しにして平家の大軍を迎た。(源平盛衰記)

 しかし、齋明威儀師が平家に内通するに及んで燧ケ城は陥落し義仲軍は敗走した。同年5月倶利伽羅峠の合戦に勝利した義仲は7月に上洛した。

 建武3年(延元元年 1336)今庄入道浄慶が足利方の将として燧ケ城に立て籠もり、南朝方新田義貞に味方して挙兵した杣山城の瓜生保軍と対峙し、敦賀金ヶ崎城との連携を絶つ作戦をとり翌年金ヶ崎城を落城せしめた。

 天正3年(1575)8月、越前一向一揆の総大将下間筑後守後法橋頼照は藤島超勝寺、荒川興行寺の一揆衆と共に燧ケ城に立て籠もり、板取城に下間頼俊、木ノ芽峠には西光寺勢力、鉢伏山城には阿波賀三を配した。
 これに対し、信長は約5万の軍勢を仕立て、徳川軍1万3千、柴田勝家軍1万2千の他、合わせて約10万の軍勢で越前攻めをおこなった。(朝倉始末記)


本丸と二の丸間の堅堀と土橋



本丸からの眺望



お薦めの書籍

お勧め度







お勧め度






HOME福井県の城郭

近江の城郭