花城山城
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 城郭の概要
所在地:敦賀市櫛川
別 名 :櫛川城
築 城 : −
初城主:武藤宗右衛門か
区 分 :山城
遺 構 :横堀,土橋
城 域 : −
     標高 90m
     比高 90m

 現地への案内
交通機関は車を利用
 
 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
空地に駐車
【訪 城】2007年6月
【撮 影】2007年6月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り


西斜面の横堀にかかる土橋
西斜面の横堀にかかる土橋

 現地の状況
 花城山城は敦賀市街の北西、北に延びる半島の付け根にあたる鉢山にあり、眼下には井の口川が流れ、敦賀湾の東に位置する手筒山城とともに敦賀を押さえる絶好の位置にある。

 気比の松原を横目で見ながら、敦賀湾の西岸にある敦賀市櫛川の花城橋を渡ると、山肌を大きく削り取られた標高100mほど山がある。
 事前調査によれば、鉢山は土取りのため削られ、花城山城の遺構はほとんど失われているらしいが、この鉢山に来た目的は、元亀元年に織田信長が手筒山城を攻めるにあたり、この山頂から見たであろう手筒山を眺めることである。

 目的が手筒山を眺めることであるから、とりあえず登れとばかりに山の西側に廻りNTTの電波塔横から斜面を登る。
 5分ほどで南北に走る痩せ尾根に出る。この痩せ尾根を藪漕ぎをしながら更に登ると、横堀と土橋が出現、半分は諦めていた遺構を見つけて幸運だった。これも藪漕ぎの成果である。
しかし山頂に着いてもブッシュのため手筒山を見ることは出来ず、むなしく下山した。


 城郭の歴史
 元亀元年(1570)4月、織田信長は朝倉攻めの軍を起こし、近江路を経て若狭に入り、国吉城に逗留。国吉城を拠点に4月25日に疋壇城を落とすと、敦賀湾を挟んで手筒山城と対峙する花城山城に陣を構えた。

 天正3年(1575)織田信長によって敦賀郡を与えられた武藤舜秀(しゅんしゅう)が花城山城に拠り、その後蜂谷頼隆が笹川の左岸に敦賀城を築くにあたって廃城となった。

 なお、「太閤記」では柴田勝家が北国の藩鎮として武藤宗右衛門を敦賀城に籠められるとあり、「敦賀志稿」では、この武藤宗右衛門の敦賀城を花城山城と比定している。

花城橋から手筒山を遠望
花城橋から手筒山を遠望



近隣の観光
氣比神宮
敦賀市曙町11-68
 大宝2年(702)の建立と伝えられ、勅命により仲哀天皇・神功皇后を合祀し、後に日本武命(東殿宮)、応神天皇(総社宮)、玉妃命(平殿宮)、武内宿禰(西殿宮)のご祭神をまつる北陸道の総鎮守。

 高さ11mの大鳥居は重要文化財で、春日大社(奈良県),厳島神社(広島県)と並ぶ日本三大木造大鳥居の一つに数えられている。



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