越前 福井城
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 城郭の概要
所在地:福井市大手3丁目
別 名 :北庄城
築 城 :慶長6年(1601)
初城主:結城秀康
区 分 :平城
遺 構 :石垣,堀,井戸
城 域 :1750m×1950m

 現地への案内
交通機関は車を利用
 JR福井駅の北東、約500m
 詳細位置はコチラ mapfan
 駐車場
 県庁の駐車所を利用

【訪 城】2001年
【撮 影】2001年

評価項目 見所評価
選地
縄張り ☆☆
普請 ★★
体力消耗度 ☆☆
お勧め度 ★★
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り

本丸天守台石垣
本丸天守台石垣

 現地の状況
 福井城は福井市のほぼ中央部、足羽川の北に位置している。福井市は昭和20年7月の二度にわたる空襲によって壊滅的な破壊を受け、福井城には本丸石垣と本丸周囲に内堀が残されているだけである。
また福井城は四重、五重の堀の囲まれていたとされるが、外堀も埋め立てられてしまっている。

 本丸の石垣は福井県で産出する凝灰岩(勺谷石)を使った切り込みハギで積まれており、他の城にはない独特の味わいを感じさせる。
また石垣裾からは石瓦が多く出土しており、建物は石瓦葺きであったと考えられている。

 平成20年に明治初期の写真をもとに御廊下橋が復原された。この橋は代々の藩主が本丸まで通うために使用したと伝えられる。
 完成したばかりの真新しい御廊下橋には違和感を覚えるが、数年後には凝灰岩の石垣にとけ込んでいるのではないだろうか。


福井城縄張り
福井城の縄張り

 城郭の歴史
 慶長5年、関ヶ原に勝利した徳川家康は12月、越前13郡68万石の領主として二男結城秀康を封じた。秀康は翌6年9月、北庄城を居城と定めて改築を開始した。
 清水丹後守好正を普請奉行とし、本丸と二の丸は徳川家康自らが縄張りをし三の丸その他は吉田修理好寛が縄張りをしたと伝える。

 この福井城は四重、五重の堀を巡らす大工事で、諸国の大名は御手伝いを出したといわれ、6年の歳月をかけ、同11年に落成をみた。その後も外郭をはじめとする改修等が進められたが、翌12年に秀康が逝去し、城下を総郭とする計画は、加賀口付近が完成したのみで未完に終わった。

 この福井城も、万治2年(1659)4月、寛文9年4月と二度の大火にみまわれ、特に寛文9年4月15日、城下氷雲寺門前より出火した大火は、城下の大半を焼くと共に、天守をはじめとする城櫓等のほとんどを焼いた。藩は幕府より五万両の拝借金を得、ただちに再建に着手したが、天守は再建されなかった。存続した種々の建物も、版籍奉還以後、次々と取り壊され、松平氏17代の居城も現在はその姿をとどめていない。

石垣と堀
石垣と堀





観光
県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館

 一乗谷の発掘調査で出土した武具や生活用品、朝倉氏の館の模型など多くの資料が展示されている。

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丸岡藩砲台跡

 丸岡藩が沿岸警備のために築いた砲台跡で、越前松島の東方の海岸沿いにある。背丈ほどの高さに弓型の石垣が積み上げられている。

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明智神社
福井市東大味

 明智城を斎藤氏に落とされた後、鉄砲指南役として越前の朝倉義景に仕えていた当時の住居跡と言われている。
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