茶臼山 織田信長本陣
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【城郭の概要】
所在地:新城市牛倉(旧鳳来町牛倉)
別 名 : −
築 城 :天正3年(1575)
初城主:織田信長
区 分 :陣城
遺 構 :曲輪

茶臼山本陣
茶臼山本陣の曲輪

【現地への案内】
国道151線、富永新地から県道438号線に入り、茶臼山公園

細位置はコチラ 

【駐車場駐車場に10台ほど駐車可
【訪 城】2005年10月
【撮 影】2003年10月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 茶臼山公園まで車で上ることが出来る。駐車場から5分ほど登ると本陣跡に出る。その間、南東側の斜面には階段状に曲輪が造られている。本陣には社が祀られているが、雑草,雑木がのび放題。本陣の北側にも袖曲輪を配している。2〜3日の滞在にもかかわらず、武田軍との戦いに備えて用意周到な信長の姿勢が見て取れる。
 茶臼山は雑木が生い茂り設楽原方面だけでなく、周囲の眺望は全く利かないのは非常に残念である。
 本陣の曲輪には、信長が詠んだ 「きつねなく 声もうれしくきこゆなり 松風清き 茶臼山かね」の歌碑が建てられている。武田軍との決戦を前にして信長が勝利への自信を示した詩か。
 甲陽軍艦には、信長が長篠へ出陣するにあたり、武田氏調伏のため百韻の連歌を催した時にも、武田家の山県昌景をはじめとして家老達の名前を詠み入れたとあり、その中で信長の発句とされる、「松風の 武田首なき 明日かな」が記載されている。  この詩にも「松風」を詠み入れており、信長は “松風” がよほど気に入っていたようである。(^^)
 なお、この詩の意味は「松(松平)加勢に 武田首なき 明日かな」をもじったものであるとも云われているが、その真意は分からない。(^^)
曲輪と切岸
斜面の曲輪と切岸

【城郭の歴史】
 長篠城が武田軍によって包囲された連絡を受けた信長は、5月13日に岐阜城を出発、16日には牛久保城に入り、上平井の極楽寺で軍議を開き、設楽原の戦いにおける作戦を練り、18日には茶臼山に入った。

 従って、茶臼山の本陣は18日から20日にかけて構築されたものと考えられる。なお、信長本陣の北には羽柴秀吉の陣城が位置している。


管理者・野暮からのご紹介
 “茶臼山陣城へ行かれる際には、併せて以下を廻られたら如何でしょう”

★武田ファン

お城マニア
★一般観光
勿論、目の前にある長篠城医王寺陣城鳶ヶ巣山砦,設楽原の戦場巡り、それと弾正郭にある馬場美濃守の墓
信玄最後の城攻めとなった野田城
鳥井強右衛門の墓と磔の地

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