鳶ヶ巣山砦
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【城郭の概要】
所在地:新城市乗本(旧鳳来町乗本)
別 名 :乗本村砦
築 城 :天正3年(1575)
初城主:武田兵庫頭信実
区 分 :山城
遺 構 :曲輪,竪堀
城 域 :400m×200m
     標高 150m

     比高 100m 

曲輪か?
石碑から下った台地(曲輪か?)

【現地への案内】
国道151号線から長篠大橋を渡り、県道439号線に入り、牛淵橋を渡ってすぐに案内板あり

細位置はコチラ 

【駐車場駐車場に20駐車可
【訪 城】2005年10月
【撮 影】2003年10月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆  
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 鳶ヶ巣山砦は天正3年に武田軍が長篠城を攻める際に、長篠城の南を流れる宇連川(大野川)を挟んだ丘陵地帯に、君が伏床砦,姥が懐砦,中山砦、および久開山砦と共に築いた砦のひとつである。
2条の竪堀
堅堀

 長篠城は三方を大野川(宇連川)や寒狭川(豊川)に囲まれ、両川は渓谷をなし、渡河することは困難に思えるが、天正3年武田軍に長篠城を包囲された時に、鳥井強右衛門が長篠城内から寒狭川を越えて徳川軍に援軍要請に走ったように、長篠城から大野川を渡河するルートがあり、鳶ヶ巣山砦などは長篠城を孤立させるために築かれたと考えられる。

 車で鳶ヶ巣山砦の駐車場まで乗りつける。駐車場横に金毘羅神社があり、この金毘羅神社前の斜面に竪堀が2状確認出来る。この辺りは既に城域で、削平地らしきものもあるが、竪堀以外には明確な遺構がなく、城域の確定は難しい。
戦没将士の墓
戦没将士の碑

 200〜300mも歩くと、戦没将士の墓の石碑が建てられている。この辺りまで来ると曲輪や切岸形状がはっきりとするが、石碑周囲の低土塁は果たして当時のものか。
 石碑一帯からは雑木のため眺望は利かないが、200mほど下ると、見晴らしの良い台地に出る。台地からは長篠城が真下に見下ろすことが出来、その距離は約1kmで、本丸はスッポンポン。(^^) また、武田軍の馬場美濃守が陣を構えた大通寺山や勝頼の本陣・医王寺陣城(多分写真の位置だと思います)が正面に見える。
 この台地は平坦で、眺望の良さからも、鳶ヶ巣砦の一部として使用されていたことは間違いない。
鳶の巣砦からの眺望
石碑から下った台地上からの眺望

【城郭の歴史】 天正3年(1575)5月8日、武田勝頼は1万5千の大軍をもって長篠城を包囲した。その時、乗本側に5つの砦を築き、守兵1千を配して包囲の一環とした。

 君ヶ伏床には和田兵部、姥ヶ懐には三枝勘解由兄弟、鳶ヶ巣には主将武田兵庫頭信実、中山には名和無理之助並びに五味与惚兵衛、久間山には浪合民部などが、陣を張っていた。 20日の夜、徳川の臣酒井忠次は4千の兵と500丁の鉄砲隊を引き連れ、吉川の松山峠を越えて密かに背後に迫り、21日払暁、酒井軍は鉄砲を合図に鬨の声を挙げ一斉に攻め込んだ。
 武田軍は狼狽しながらもよく防戦した、特に鳶ヶ巣では壮烈な攻防戦を3度も繰り返したが、ついに衆寡敵せずして、信実以下悉く戦死を遂げた。

現地案内板を編集


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