三河 椎城
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【城郭の概要】
所在地:豊田市則定町本郷
別 名 : −
築 城 : −
初城主:鈴木氏
区 分 :山城
遺 構 :堀切,土塁
城 域 :185m×30m
      標高 220m
      比高 120m

二の曲輪東側の堀切
二の曲輪東側の堀切

【現地への案内】

細位置はコチラ 

【駐車場公民館の駐車場を利用
【訪 城】2008年4月
【撮 影】2008年4月


評価項目 評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)

【現地の状況】
 椎城へのルートは則定小学校のグランド横(則定陣屋)から鈴木正三史跡公園を経て、案内板に沿って山を登ると約10分で東端の堀切に出る。

 堀切から西側尾根に二の曲輪、更に堀切を経て主曲輪、三の曲輪と連ねた連郭式の山城で、二の曲輪を中心として東側に対して防御意識が高いが、二の曲輪東側の堀切は二の曲輪〜主曲輪間の堀切と比較すると切岸が急角度で、後年に改修された可能性も考えられる。

 なお、二の曲輪には、“當椎城主鈴木重氏墳”と彫られた鈴木重氏の墓があり、椎城の南東100mほどのところに椎城の支城と考えられる則定城がある。


主曲輪

【城郭の歴史】
 三河の鈴木氏は鎌倉時代から南北朝時代の頃に三河国矢並(愛知県豊田市矢並町)に土着したと伝えられ、戦国期には、寺部(豊田市寺部町)、酒呑(豊田市幸海町)、足助(豊田市足助町)、則定(豊田市足助町大字則定)などの諸家に分かれていた。

 則定・鈴木氏は築き、椎城山麓の心月院跡地(鈴木正三記念公園)を居館としていた。
永禄3年(1560)の桶狭間の戦いで今川氏が敗れた後も各々の鈴木氏は今川氏に属していたが、永禄4年(1561年)4月、織田信長と結んだ松平元康(徳川家康)による奥三河への進攻が開始され、永禄7年(1564)足助鈴木重直の拠る真弓山城(足助城)は徳川家康に攻められ落城。
この頃には則定・鈴木氏も徳川氏に属していたものと考えられる。
二の曲輪〜主曲輪間の堀切
二の曲輪〜主曲輪間の堀切

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