瀬古間城
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【城郭の概要】
所在地:豊田市志賀町字城山
別 名 : −
築 城 :永正3年(1506)
初城主:松平宗忠
区 分 :平山城
遺 構 :曲輪
城 域 :60m×50m

     標高 100m
     比高 20mm


瀬古間城址碑
瀬古間城麓の浄願寺山門

【現地への案内】
 国道301号線志賀町信号を北東約500mの浄願寺
細位置はコチラ 

【駐車場浄願寺の駐車場を利用
【訪 城】2003年4月
【撮 影】2003年4月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★☆☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 瀬古間城は南側を走る国道301号線は新城街道として新城に通じ、また足助街道を経て足助、更には飯田街道を経て飯田に抜けることが出来る交通の要衝の地にある。
 浄願寺の境内から背後の丘を2〜3分も登ると、瀬古間城の主曲輪に出る。主曲輪は公園として整備され、北側は眺望が開け、豊田市街地が一望できる。主曲輪周囲には腰曲輪が巡らされ、切岸防御主体の城である。

【城郭の歴史】
 古瀬間城は松平氏が高橋庄攻略の拠点として永正3年(1506)に松平宗忠(長沢松平家)に築城させたと云われています。
 城址、主郭は40m×32mの規模で東へ先細りの形態となり、東北角には櫓台と思われる一角があります。北、西、南面には腰曲輪が段差をつけながら巡っています。主郭東下には堀切状になった部分があり、堀切あるいは堀切状になった部分があり、堀切あるいは曲輪の機能を持っていたと思われます。
 一説によれば、天正18年(1590)の徳川家康の関東移封に伴い、この城は廃城になったといわれています。なお、城址北の麓の浄願寺には宗忠のものと伝えられるお墓が建っています。


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