大草城
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【城郭の概要】
所在地:知多市大草
別 名 : −
築 城 :天正12年(1584)
初城主:織田長益(有楽斎)
区 分 :平山城
遺 構 :水堀,土塁
城 域 :本丸86m×55m,二の丸83m×66m
     比高 約10m


水堀
外周に残る水堀

【現地への案内】
国道155号線大草地区、大草公園
細位置はコチラ 

【駐車場津島神社前の駐車場に約10台
【訪 城】2001年7月
【撮 影】2001年7月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 国道155号線から大草地区にはいると丘陵地の上に大草城の展望台が見える。また例によって模擬天守を売りにした城址かと思ってしまうが、さにあらん、この大草城には見事な遺構が残っている。
本丸、および二の丸の北〜東に巡らした水堀や、本丸北側や二の丸周囲の土塁はしっかりと見応えがある。三の丸は住宅地となっているが、所々に土塁が残る。しかし、周囲の開発状況から見てこれら土塁が消失するのに時間はかからないのではなかろうか。
なお、本丸には二層の天守閣を模した大草公園展望台が建てられている。

【城郭の歴史】
 天正10年(1582)織田信長が本能寺で倒れた後、その子信雄が尾張一国を領し、信雄の叔父の有楽斎織田長益が、この地に大草城を築いたが、天正12年の頃、長益は秀吉の命により、摂津移封され、大草城は廃城となる。

 江戸期になって、尾張藩の 山澄淡路守英龍の知行地となり、寛文6年(1666)に城址の西南に屋敷を構えるなど、歴代の支配者が保存に力を注いだことによる。

 なお、織田有楽斎の墓は京都市東山区大和大路四条下がる の正伝永源院にある。

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