尾張 大高城
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【城郭の概要】
所在地:名古屋市緑区大高町城山
別 名 : −
築 城 :永正年間(1504〜1521)
初城主:花井備中守
区 分 :平山城
遺 構 :土塁,横堀
城 域 :100m×30m
      比高 20m
      国指定史跡

主曲輪西側に残る空堀
主曲輪西側に残る空堀

【現地への案内】
JR東海道線大高駅から西へ約500m

細位置はコチラ 

【駐車場付近に駐車場はありません
【訪 城】2008年4月
【撮 影】2008年4月


評価項目 評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)

【現地の状況】
 大高城は白天川の支流・大高川の西岸に位置する比高20mほどの丘陵地に築かれている。

 丘陵地の北側および東側は比高差20mほどあるが、南側(大高小学校側)は平地地形で、南側の二の丸との間には今でも土橋を挟んで空堀が残されている。また、80m×50mほどの主曲輪西側には土塁も残されている。
当時は二重の空堀を廻らせた縄張りだったといわれている。


主曲輪西側の土塁

【城郭の歴史】
 大高城の築城年代は定かではないが、永正年間(1504〜1520)には花井備中守が居城し、天文・弘治年間には水野忠氏父子が居城したとされる。

 三河の松平清康の死後、勢力の衰えた松平氏に代わって三河地方の覇権を巡って、織田信秀と今川義元の抗争が始まる。
 天文20年(1551年)織田信秀が病没し、信長とその弟・信勝(後の織田信行)間で内紛が起こると永禄2年(1559)には織田家の部将・鳴海城主山口教継が今川方に寝返り沓掛城と大高城が攻略された。
信長は鷲津砦丸根砦を築くことで、今川義元の尾張進攻に備えると共に、今川義元の前線基地ともなる大高城を孤立させた。
 その頃大高城は今川義元の武将鵜殿長照が守っていたが、信長軍の包囲にあって兵糧が底をつく事態となり、大高城への兵糧の運び込みを命じられたのが松平元康(後の徳川家康)である。
 松平元康は敵中突破を果たし大高城への兵糧運び込みに成功した。これが後にいう「大高の兵糧入れ」である。

 永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元が戦死し、今川氏の勢力が衰えると、大高城は戦略的価値がなくなり廃城となった。
 元和2年(1616)尾張徳川藩家老の志水忠宗が1万石を領して館を設け、代々続いて明治維新を迎えた。

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