二連木城
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【城郭の概要】
所在地:豊橋市仁連木町
別 名 : −
築 城 :明応2年(1493)
初城主:戸田宗光
区 分 :平城
遺 構 :土塁,堀
城 域 :80m×30m


本丸の切岸
本丸の切岸

【現地への案内】
国道1号線瓦町の信号を北へ、県道31号線を約1km、東田小学校の東
詳細位置はコチラ 

【駐車場路上駐車
【訪 城】2005年5月
【撮 影】2005年5月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 吉田城の東約1.2kmにあり、朝倉川左岸の河岸段丘に築かれている。この城は田原を本拠とする戸田宗光が渥美郡から北方への進出を狙って、遠江から本坂峠を越えてくる姫街道(現国号362号線)と多米峠を越えて走る鎌倉街道(現県道4号線)の掌握するために築城したものである。

 当時の城域は、北西に朝倉川を臨む段丘先端の出曲輪を含め、170m×140m程度と推定されているが、現在では住宅地の真中にあって、本丸と二の丸が公園とし残されている。 よくぞ、これだけ残したというところである。
 公園に入ると、高さ4〜5mの切岸が圧倒的な迫力で迫ってくる。この切岸を登った所が本丸で、 北と西側に1m〜2mほどの土塁が残り、東側の二の丸(現老人福祉センター)との間に堀切が確認出来る。

【城郭の歴史】
 二連木城は戦国の世に入った明応2年(1493)に田原城・城主戸田宗光により築かれた。その後、この地は多くの戦場となり天正18年(1590)城主戸田康長の時に廃城となった。城は朝倉川を臨む段丘端に築かれ、約600m2の本丸をはじめ、本丸北に蔵屋敷、東に二の丸、さらに二の丸を取り囲むように東曲輪と南曲輪がある。
 それぞれ土塁と堀で隔てられていた。  現在公園となっているところは本丸跡、老人福祉センターのある二の丸跡、そして本丸周辺に空掘や土塁の一部が残っている。
現地案内板より

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