尾張 名古屋城
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 城郭の概要
所在地:名古屋市中区本丸
別 名 :蓬左城,楊柳城,柳ヶ城,亀尾城,鶴ヶ城,金城
築 城 :慶長15年(1610)
初城主:徳川家康
区 分 :平城
遺 構 :本丸,二の丸,西の丸,深井丸,石垣,櫓三,門一,堀,土塁

 現地への案内
交通機関
名古屋駅から北東へ約1,5km

JR名古屋駅から地下鉄東山線の栄駅から名城線に乗り換え、市役所駅下車、すぐ

詳細位置はコチラ 

 駐車場
専用駐車場を利用

【訪 城】2002年5月,2003年12月
【撮 影】2002年5月,2008年10月

評価項目 見所評価
選地 ★★☆
縄張り ★★☆
普請 ★★★
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
が多い方がお勧め (三段階評価)

体力消耗度
  
:山道はほとんどなし
 
★★:10分〜30分程度の山登り
★★★:約1時間ほどの山登り



名古屋城天守
名古屋城天守

 現地の状況
 名古屋城は名古屋台地の北端に位置し、北には庄内川が流れ、城の北側は沼地であったという。

 現在も国道19号線の三の丸交差点付近は名古屋城本丸に向かっては20〜30mほどの比高差があり、名古屋城の建っているところが台地であることがよく分かる。
 また、名古屋城の北の名城公園に行くと、名古屋城を見上げる形になり台地が北側で落ち込んでいるのが確認できる。

天守は五層五階で小天守を伴った姿は秀逸である。小天守石塁と橋台で連結され加藤清正の築造したとされる天守石垣の稜線の美しさは抜群だ。

 この天守は昭和25年5月14日に繊細で本丸御殿と共に焼失したが、昭和34年秋に小天守と共に鉄筋コンクリート造りとして再建されたものである。

 本丸二の門は創建当時のもので高麗門形式で、この門に続く左右の土塀も当時のもので、重要文化財に指定されている。
その他、本丸西南隅櫓、本丸東南櫓も重要文化財に指定されている。

東門の石垣
東門の石垣

 城郭の歴史
  名古屋城は、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦い後、大阪城の封鎖、および豊臣方の東上を防ぐために、丹波篠山城彦根城伊賀上野城などとともに築かれたものである。

 慶長15年(1610)徳川家康は前田利常、池田輝政、蜂須賀至鎮、加藤清正、加藤嘉明、福島政則、黒田長政、鍋島勝茂、浅野幸長、毛利秀就など、北国、中国、四国、および九州の諸大名に命じて築かせたもので、2〜3年でほぼ完成したとされる。

 家康の九男義直は慶長8年(1603)、甲斐25万石から尾張一国に国替えとなり清洲城を与えられたが、元和元年(1615)大坂夏の陣を経て名古屋城に入った。
その後美濃12万石を加増されて、元和5年には61万9500石となり、以後17代慶勝まで尾張徳川家の居城となった。
 明治維新後は明治7年に陸軍用地となり兵舎がおかれ、明治26年に本丸は宮内庁省所属の離宮となった。

 なお、名古屋城の建てられた場所は、元々今川氏親が築城した那古野城跡であり、この那古野城は現在の二の丸庭園となっている。

那古野城について
 大永(1521から1528)の初め、今川氏親が名古屋台地西北端に築いたもので、一名「柳の丸」といった。氏親は一族の氏豊を城主として守らせていたが、天文元年(1532)織田信秀のために城を奪われた。

 その後織田信秀が居城とし、天文3年(1534)信長はここで生まれたといわれる。同年、信秀は古渡城に、また弘治元年(1555)信長も清須城(清洲城)に移り、一族の信光が居城したが、やがて廃城となった。慶長15年(1610)名古屋城築城の際、二の丸の一部となった。(名古屋市教育委員会)

 なお、信長誕生の地は勝幡城で生まれてから那古野城へ移ったという説もあり、定かではない。



名古屋城をもっと紹介

ライトアップされた名古屋城天守
ライトアップされた名古屋城天守


天守と小天守
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天守と小天守を結ぶ剣塀
天守と小天守を結ぶ剣塀


西北隅櫓
西北隅櫓


東南隅櫓
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旧二の丸 表二之門
旧二の丸 表二之門

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