飯盛山城
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【城郭の概要】
所在地:東加茂郡足助町飯盛
別 名 :飯盛城,足助城
築 城 :鎌倉時代
初城主:足助氏
区 分 :山城
遺 構 :土塁,堀切,竪堀
城 域 :400m×400m
     標高 251m
     比高 130m

主曲輪の土塁
主曲輪手前の土塁

【現地への案内】
国道153号線足助町、香嵐渓の北
細位置はコチラ 

【駐車場有料駐車場を利用
【訪 城】2001年7月
【撮 影】2001年7月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★☆☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 飯盛山は香嵐渓で有名な巴川と足助川に挟まれたデルタ状の地形の先端に位置しており、後年の足助氏の居城・真弓山城と対面する。
有料駐車場に車を置き、駐車場背後のハイキングコースを登ること約15分で山頂に着く。その間、急斜面支尾根にはを階段状に小さな曲輪が幾つも設けられている。

 山頂は非常に狭く、南北は助川と巴川に急斜面で落ち込み、谷筋は人工の竪堀状で、天然の要害である。西側尾根には二条の竪堀が確認できる。
ハイキングコースを足助氏の菩提寺である香積寺(こうじゃくじ)方面に降りると鈴木氏五代の墓,足助氏の館跡があり、館跡には土塁もシッカリと残っている。
香嵐渓は紅葉の名所で、秋には観光客でにぎわう。
足助氏の居館跡とされる香績寺の土塁
土塁


【城郭の歴史】
 室町時代から戦国時代に渡り足助城に在城し、この地方を領有していた鈴木氏五代の墓である。足助城興亡の歴史をたどってみると、

◆大永5年(1525) 松平清康二千余騎で攻め寄せる、城主鈴木重政は清康の妹を嫡子越後守重直の妻に契約してその麾下に属する。

◆天文4年(1535) 守山くずれで清康が殺されると松平氏を離れて独立、重直の妻久子を岡崎に送り返す。

◆永禄3年(1560) 桶狭間合戦後、家康が三河平定に乗り出すと、また松平氏に従属する。

◆元亀2年(1572) 武田信玄二万三千の兵で伊那口より三河に乱入し、足助城を始めとする付近の諸城はすべて落城した。信玄は足助城(別名:真弓山城)に下条伊豆守を城代として置く。

◆天正元年 家康の長子岡崎三郎信康は足助城を攻略して、元城主鈴木氏に与える。

◆天正9年(1582) 高天神城の戦いに同族の加茂郡小原城主鈴木越中守重愛と共に奮戦、松平勢のあげた首級730余の内、138級をあげる。

◆天正18年(1590) 家康の関東入国に従い、足助城は廃城。鈴木氏は改易となる。
足助町文化財保護委員会

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