本證寺
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【城郭の概要】
所在地:安城市野寺町野寺町
別 名 : −
築 城 :建永元年(1206)
初城主: −
区 分 :寺院城郭
遺 構 :土塁,空掘
城 域 : −


県指定史跡


本證寺本堂と周囲の空掘

【現地への案内】
国道23号線藤井インターの東1km、名鉄西尾線米津駅の東約2km
細位置はコチラ 

【駐車場山門前の空地を利用
【訪 城】2003年12月
【撮 影】2003年12月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★☆☆
縄張り ★★☆
普請 ★★☆
体力消耗度 ★☆☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)

【現地の状況】
 本證寺の周囲に水掘、本堂西側には堀で囲まれた曲輪も非常に状態良く残っており、いたく感動する。(^^)
一向一揆衆の拠点がまさに城郭としての機能を備えていたことが非常によく分かり、文化的な価値も大きい。なお、本堂は県指定文化財に指定されている。

【城郭の歴史】
 
雲篭山(うんろうざん)本証寺は浄土真宗大谷派に属し、三河三か寺(本証寺・上官寺勝鬘寺)の一つ。今も城郭伽藍の遺構をよく残しており、実戦の経歴多い古戦場にあるのは珍しい。昭和35年、愛知県文化財史蹟に指定されている。
 永禄6年から同7年、三河一向一揆は三河の統一をはかる家康にとって一大試練であった。一揆の起きた直接の原因は家康の家臣・菅沼定顕が上宮寺より糧米を強制的に徴収したためで、本証寺第十代・空誓(蓮如上人の孫)が中心となって門徒に檄を飛ばして家康と戦った。門徒の中には譜代恩顧の将兵も加わっており、信仰に燃え護法のために立ち上がったものであり、家康は勝算の見込みなしとして永禄7年、和平を成立させた。
 その後、家康は本証寺を含む諸寺や門徒に改宗を強要、弾圧に乗り出したが、空誓が刈谷城・城主水野忠政の娘・妙春尼を通じて「真宗を敵とすることの無意味さ」を家康に悟らせたため、天正11(1583)には保護を受けるようになった。

 一向一揆の詳細については、本願寺と一向一揆を参照下さい。

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