武節古城
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【城郭の概要】
所在地:北設楽郡稲武町大字桑原字鎌井
別 名 : −
築 城 : −
初城主:菅沼定信
区 分 :山城
遺 構 :堀切,竪堀
城 域 :150m×50m

町指定史跡



曲輪と切岸

【現地への案内】
国道257号線から熊野神社を目当てに
詳細位置はコチラ

【駐車場稲武幼稚園の駐車場を利用
【訪 城】2003年5月
【撮 影】2003年5月


評価項目 見所評価(三段階評価)
選地 ★★☆
縄張り ★★☆ 
普請 ★★☆
体力消耗度 ★★☆
お勧め度 ★★☆
 が多い方がお勧め (体力消耗度は大きい)
【現地の状況】
 稲武幼稚園の東側から谷に入り、右手斜面から登るが、この辺り一帯は急傾斜地崩壊危険区域に指定されており、その傾斜は中途半端ではない。
斜面を登りきると、武節古城の南側尾根に築かれた曲輪に出る。三つの小曲輪を経て主曲輪に出るが、各曲輪間の切岸は高低差があり実に実践的である。主曲輪を中心にして、西側斜面にも曲輪を配している。
 主曲輪背後の櫓台に武節古城であることを示す小さな説明板立てられている。

武節古城は南向き築かれ、南側前面は急斜面と切岸で、防御は鉄壁に近いが、背後の台地側は堀切,竪堀を介して平坦地となり、元々城を死守するといった意識はないようである。(^^)
 主曲輪背後の道路を西に下ると村社熊野神社の駐車場に出る。

【城郭の歴史】
 この武節古城は黒田側左岸に形成された舌状台地上にある。北側の山地に続く尾根を掘り切って土を内側に盛り上げ、一段高い櫓を築いている。本丸はこの南側の平地で、更にその南側には中央部を浅い洞で分断された2〜3段の削平地があり、西側に連絡している。東側は九で幅の狭い帯曲輪が一条伸びている。大きい城ではないが典型的な平山城である。
「足助八幡宮縁起」の建武元年(1334)の条に武節御代官菜倉左近蔵人の記述がある。
隣郷名倉の清水城主であるが、足助荘の代官として、この武節古城を政所とし、荘務を行っていたと考えられている。
 後に城主となったのは、尾張国山田郡より川手村へ移住して来た山田氏で、菜倉氏の勢いに乗じて、この城を手に入れたと思われる。明応7年(1499)改築の旭町牛地の小馬寺の棟札に山田貞詮の孫貞吉の名が見えるが、この頃になると田峯菅沼氏の勢力が派生し、城山に新しい武節城が築かれる。山田氏との関係は明らかでないが、菅沼氏従属したと思われる。
稲武町教育委員会

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